山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

民宿

まだ秋山二十六夜山に登ったことがない、という声が多かったので、8年ぶりに行ってみることにした。前回(はこちら)は雛鶴峠から上がったが、今回は棚ノ入山から秋山二十六夜山を登ることにして、それだけだとやや尺が短いので、寺下峠を越えて梁川へ下ることにした。8人の大パーティーとなったので、バスの折返し場所である赤倉岳BS(バスの終点はもっと手前の無生野BS)までジャンボタクシーで乗り付けた(今回の山行記録はこちら)。
二十六夜山は、いわずと知れた二十六夜待の行事が行われていたところで、毎月ではなく旧暦の1月26日と7月26日に限られていた。旧暦の7月26日というと、今年は新暦で9月10日、月齢が24.7ということなので、三日月よりもやや太った状態である。月が出た時の光の中に、阿弥陀・観音・勢至の三尊の姿が見えるらしい。
月が出るのが何時頃なのか定かではないけれど恐らく夜半過ぎ、浅夜の頃だろうからそれまで山の上で飲み続けるのも大変だが、涼しくて気持ちが良かっただろう。この行事が廃れて今に残っていないのは、どうやら水野忠邦や鳥居耀蔵による天保の改革の、綱紀粛正によるものらしい。お上に目をつけられたくらい、それなりに華やかにやっていたということだろうから、今も存続していればどのようなことになっていたのか、考えるとちょっと楽しい。でも不思議と、復活させようという話は聞かない。
アップダウンを繰り返して、寺下峠から下ると梁川駅の手前、塩瀬集落に立ち寄り入浴(駅への送迎付きで入浴料800円)ができる「民宿やまみち」という宿がある。この界隈ではとても貴重な立ち寄り湯である。今回はここの訪問も目当ての一つだった。出迎えてくれた大女将が「湯が温くてすみませんね」と云っていたが小生には丁度良かった。この宿にはまた来たいが、登る山の選択肢が少ないのが悩みである。

01 旧赤倉岳BSからスタート。8個01分
03 更に林道を進む。
08 踏み跡は見当たらず。
10 アキレス腱が伸びる。
13 思った以上にスリリングでした。
16 春を感じる尾根。
17 日溜りで2回目の休憩。9時24分
22 一心不乱に登る。
24 胸突き八丁。
25 あの辺りが山頂か。
26 もうすぐ。
27 山頂見えた。
30 こちらは新顔。
31 彼方が秋山二十六夜山。
33 倉岳山の向こうは飛龍山が見えている。
34 高畑山の向こうは大菩薩連嶺。大菩薩嶺も見えているようだ。
35 南アルプスも見えた。笹子雁ヶ原摺山の上には微かに甲斐駒ヶ岳も。
39 緩く登ると・・・
40 秋山二十六夜山到着。10時58分
47 基本的には歩き易い径。
48 ダンコウバイが咲いていた。
52 ここでものんびりした。
54 キブシも咲いていた。
56 ここなんかほぼ径が埋まっている。
58 「民宿やまみち」の看板も見えた。
59 今日はここで汗を流す予定。
60 ちゃんとした民宿でした。
61 玄関で風呂上がりの一杯。
62 玄関から斧窪御前山が見えている。
63 白菜の古漬けが美味かった。
64 では揃ったところで。
65 いい湯でした。いつか泊りに来てみたい。

角館で武家屋敷を眺め、比内鶏で舌鼓を打ったあと、再び秋田新幹線「こまち」に乗って田沢湖駅まで戻る。僅かな距離だからわざわざ「こまち」に乗る必要も無いのだが、各駅停車の普通電車の運転間隔が広くて、「こまち」とほぼ同じ。「こまち」をやり過ごしてから普通電車に乗るのも業腹なので、仕方なく「こまち」に乗るしかない。これは体のいいぼったくりだと思う。
田沢湖駅からは、乳頭蟹場温泉行のバスに乗り換える。田沢湖スキー場前BSまで30分ぐらい掛かるが、途中、田沢湖に寄らなければもう10分ぐらい早く着くはずだ。しかし田沢湖は観光地なので素通りは出来ないのだろう。
その田沢湖は、湖面の海抜が249mもある。一方、田沢湖駅は220mぐらいしかないので、周りを外輪山で囲まれているので気が付かないが、湖面は駅よりも高い所にある。もう一つ、何となく不思議に感じるのは、この田沢湖の深さが423.4m(日本第1位)ということ。ということは、湖底は海面よりも170m以上下にあることになる。何となく凄くないですか? 閑話休題。
田沢湖スキー場前BSで下車すると、目当ての「ヒュッテ・ビルケ」は直ぐ近く。この界隈は水沢温泉郷と呼ばれていて、何軒か宿がある。「ヒュッテ・ビルケ」はその中で一番高い所にあった。早速、建物の中にお邪魔すると、オーナーご夫婦がお出迎え。
館内の説明やら注意事項やらを聞いた後、我ら女子連は早速、イ・ビョンホンの話で水を向けると途端に盛り上がったらしいが、我々男子は付き合ってられないので、先ずは風呂に入らせてもらった。湯上りは部屋に戻り、夕日を眺めながらビールをグビッとやる。
そのうちに夕食の時間。ここからはお女将さんのワンマンショー。とにかくテンション高め。それにつられて、ついつい薦められる地酒を何種類か手を出すことになった。

028 知る人ぞ知る電話ボックス。
029 田沢湖駅からバスに乗り田沢湖スキー場前で下車。
030 ここが今宵の宿「ヒュッテ・ビルケ」
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032 田沢湖の向こうに夕焼け。
033 湯上りビール。
034 そろそろ夕食です。
035 きりたんぽ鍋などなど。
036 いただきます。
037 秀よしをいただく。
038 白瀑もいただく。
039 まんさくの花もいただく。
040 女将さんオンステージ。
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041 知る人ぞ知るサイン。
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042 【第2日目】朝食は5時20分にしてもらった。
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043 ここからバスに乗る。山にはガスが懸かっている。6時11分
044 秋田駒ケ岳と電話ボックス。

「日航亭 大湯」で温まった(そして休憩室で、我々だけちょっと盛り上がった)後は、熱海駅まで徒歩圏内なのでぶらりと温泉街そぞろ歩き。途中、創建は西暦749年(ほんとかな?)だという湯前(ゆぜん)神社があったり、初代英国駐日大使オールコックの愛犬が火傷して死んだ大湯の間欠泉があったり(今は自噴していない)と、それなりに観光名所がある。でもその観光客はというと、我々だけ。
じゃあ観光客は何処にいるかというと、熱海駅前の土産物店街に老若男女がウジャウジャだ。花より団子なのである。今がウィズコロナ時代であることを忘れそうになる。我々は立ち止まらずに、一気に通り抜ける。熱海駅からは各駅停車に乗って2つ目、真鶴駅で下車。迎えに来てくれた宿のご主人の車に乗って、今宵の宿「民宿・峰」へ。宿の手前の坂がもの凄く急なので、宿が高台にあると分かる。
宿に入ったら、お決まり通りにアルコール除菌と検温、部屋割りと注意事項等の説明、GOTOトラベルの説明と手続き(これはなおちゃん)など。2階の部屋の窓の外はもう黄昏時だが、半島の付け根が見え、その左手には今日登ってきた尾根と岩戸山、遠くに十国峠レストハウスらしき構造物まで見える。
部屋でのんびりしないうちにもう夕食時。1階の食事処へ移動。座ると間もなく、でーんと刺身盛り合わせが出てくる。6人で食べられるかな、と思うぐらいの量だ(ったが、意外ときれいに完食)。ビールは既に何杯も呑んでいるので、ここは日本酒でスタート。出てきたのは、やはり神奈川の地酒「弘法山」。
毎度、山の中へ行く関係上、山の幸を喰うことが多いため、毎年1回の海の幸付き忘年山行は楽しみになる。とにかく海の幸の方が美味いし、見た目も華やか。齋藤道三や武田信玄が、海に面した(尾張とか駿河とかの)国を羨ましく思ったのは頷ける。

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道志は今も昔も、やって来るには東は津久井湖近くの三ヶ木、西は山中湖の平野が主たる玄関口。都留や藤野から通じる道もあるが何方もワインディングロードなので、通行量は大分少ない。従って道志村のキャンプ場へやって来る大抵の観光客は、三ヶ木か平野の何方かからやって来る。
我々山ヤは、どちらでも無いアプローチの仕方が可能なので、今回は上野原から無生野までバスに乗り、サンショ平、朝日山を越えて道志村に入ることにしたが、それだけだと物足りないので菜畑山まで足を延ばした。その途中にある本坂峠は、かつて道志口峠と呼ばれていたように、ここを越えると朝日曽雌の集落、その先は大旅川、朝日川、桂川沿いに甲州街道の大月へ抜けられるので、いにしえの交易ルートだった筈で、そんな峠を訪ねられたのは良かった。道志側は踏み跡があったが、朝日曽雌側は良く分からなかった。
道志で泊まったのは「北の勢堂」という、ちょっと変わった名前の民宿。母屋と離れに分かれていて、築百年以上経っている離れはかなり広いが、今日は我々だけの貸切だという。部屋数は5つぐらいあり、そのうちの一つに囲炉裏が切ってある。そこが夕食部屋だった。
「道志の湯」から戻ってみると、囲炉裏には炭火が入り、串に刺さった岩魚が並んでいた。本日のメインディッシュは猪鍋。青菜はクレソンだった。道志川に自生しているのだろう(調べると道志村が全国一の出荷量らしい!)。他にも鹿刺しやいくつかの小鉢もあって豪勢な夕食だった。酒は竹筒で御燗。囲炉裏を囲んだ夕食は、それだけでもひと味違う。くまちゃんのオーレン小屋番体験談に花が咲いた。
朝は結構冷えた。こまめなWoodyさんが、囲炉裏の灰に埋めておいた種火を起こしてくれる。囲炉裏の周りに昨日の夕食後の食器がそのままなのは、その晩に片づけることはしない(客に食事を急がせない)という宿のポリシー。朝食の時間も客の要望次第だという。実に顧客目線なもてなしだ。朝食は囲炉裏部屋ではなく、ストーブがガンガン焚かれた別室だった。
ふと、部屋からガラス引き戸越しに外を眺めようとすると、冷たい風を感じる。よく見れば、柱が歪んでいるのか、引き戸の建て付けが悪いのか分からないが、下がピシッと閉まっているのに、上は数センチの隙間。なるほどこれじゃあ、朝は冷える筈だと、Woodyさんと二人で吃驚した。

075 民宿・北の勢堂に到着。16時12分
076 今日の別館は我々の貸切。
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077 玄関の奥は朝食の間。
078 男子組の寝室。
079 囲炉裏の間は夕食処。
082 囲炉裏に炭が入って岩魚が焼かれていた。
083 青竹徳利もやってきた。
084 囲炉裏があればみんな集まる。
085 猪鍋はクレソン入り。
086 道志産の鹿刺し。
087 夕食には野菜が豊富。
088 猪肉も道志産。
089 燗酒をいただく。
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090 オーレン小屋談義。
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091 【第2日目】朝食。
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092 古民家宿を堪能した。

「くるら戸田」で湯上りビールを呑んだあと、迎えの車を頼むために「峯松」のオヤジの携帯に電話すると、何故か繋がらず。何度も掛けても同じ。えー?電波の届かないところに行っちゃった?どゆこと?しかしこのままじゃ現状を打開できない。Google Mapによれば宿まで1kmぐらいか、サンダル履きで歩けない距離じゃないなと、田舎の夜道だけどひとりじゃないので覚悟してトボトボと戻る。
宿まで戻ってオヤジに問い詰めると、何故だか携帯が機内モードになっていたと。頼みますよ、ホント。でも憎めないキャラなので、笑って許した。すぐに夕食タイム。刺身盛り合わせがとにかく豪快。マダイとクロダイ、イシダイがそれぞれ一尾ずつ、これにマグロの刺身が付いていて、これだけで腹が一杯になりそうな予感。更にアンコウ鍋、キンメダイ煮付けが付いてくる。
見ただけで満腹になりそうだったが、箸をつけてみると美味いのでバクバク喰ってしまい、意外と食べ切れそうな感じ。しかし、このあとに宿の名物、トンカツが出て来る。とても一人で一枚(合計四枚)は無理そうなので、二枚だけ揚げてもらう。ここで登場したのが「峯松ソース」。この店のオリジナルとんかつソース。オヤジの自慢の逸品だけのことはあり、(やや甘めだが)美味い。これを掛けてトンカツにパクつくとあら不思議、トンカツ二枚はキレイに食べ切った。途中で、こっちはどう?と試作中のソースも味見させてもらった。ちょっと酸味とコクが利いているのは、丹那熟成トマトを使っているせいか。これもそのうち商品になるかも知れない。このオヤジ、見掛けによらず向上心、探求心が半端ない。
宣伝をしてくれれば、「峯松ソース」か(キンメ煮付けにも使っている)「煮汁」の何れかをプレゼントするというので、小生は「煮汁」をいただいた(家で試してみると、やっぱりちょっと甘めか)。腹一杯になったら忽ち瞼が重くなり、間もなく爆睡した。
翌朝、部屋の窓から海を眺めると、その向こうに神々しいほど白い南アルプスが見えた。上河内岳や聖岳、赤石岳あたりが見えているようだ。当然ながらまさにこの時間、聖岳の頂きに居る者は、駿河湾が見えていることだろう。なんとも羨ましい。

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宮之浦岳登山当日、残念ながら天気予報通りに早朝から雨。宿から淀川登山口までのアプローチは約25kmもありしかも真っ暗な中ながら、との~の卓越運転テクニックのおかげでスムーズに到着。午前4時半過ぎにもかかわらず駐車場にはちゃんと警備員がいて駐車をサポートしてくれる。でも単なる警備員ではなく、環境保全協力金を徴収する係員(こちらが主か?)でもある。
1人1,000円を支払って出発。淀川登山口(標高約1,400m)と宮之浦岳山頂との標高差は600m弱しかないのに、コースタイムで10時間オーバーなのは、それなりに距離もアップダウンもあるということなのだろう。心してじっくりと登る。それにしても湿度が高く、拭っても拭っても眼鏡が忽ち曇るのは難儀だ。
暫くはヘッドライトを照らしながらの歩き。細かなアップダウンがあるので時々道を外れそうになるが、道幅はしっかりあるので真っ暗でもなんとかなる。そのうちに明るくなると、周囲の植生が関東近郊と明らかに違うのが良く判る。
高度が上がるにつれ、いつの間にか高木が少なくなり、風化した岩を攀じ登るようなところもあるが、花崗岩なのでフリクションはとても良く効く感じだ。栗生岳辺りから宮之浦岳までは、寄り掛かれるほど密生した笹薮を縫うように登る。
山頂はやっぱり視界ゼロ、達成感にちょっとだけ浸り、証拠写真を撮ったらさっさと下山にかかる。結局、山頂まで往復9時間10分掛かったが(山行記録はこちら)、その割りに扱かれた感が無いのは、距離はあってもアップダウンはそれ程ではないということか。利尻岳やトムラウシ、後志羊蹄山などの方が、登った感は高かった印象。
車で宿へ戻る途中では、巨大な紀元杉を見学できたし、偶然、ヤクシカ、ヤクザルにも遭遇できたし(何方も人を恐れていない体だった)、お陰ですっかり屋久島を感じることができた。
宿に戻ってきたら、どうしたことか宿の人が誰もいない(カギは掛かっていないのに、この大らかさ!)。而してビールも頼めない。そこでとの~とWoodyさんは、酒屋(食料品店)へわざわざ出かけて行ってくれ、ビールを調達してきてくれたので、漸く祝杯を挙げることができた。ありがたや、ありがたや。

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飛行機欠航のハプニングがあったものの、高速船に切り替えなんとか屋久島に渡ることができた。しかし到着が遅くなったせいで島内観光をする時間がなくなり、との~の運転で、ちょっとだけ近所の土産物屋を物色。
屋久杉を使った民芸品を売る店がそこかしこにある。樹齢千年を超える杉だけを屋久杉と呼ぶと聞いていたが、そんな屋久杉がふんだんに加工できる出来るほど採れるのだろうか。まさか生木を切り倒す訳ではないだろうけど。我々も、4人揃って屋久杉のぐい呑みをゲットした。
今回、実感することは出来なかったが、屋久島は島の南北で気候が違うとのこと。周囲およそ130kmあるらしいので、大雑把に直径は40km、たったそれだけで気候が違うというのは、やはり高い山、曰く「洋上アルプス」が隔てているせいだろうと想像できる。ちなみに、似たような島としてイメージする利尻島は周囲約60kmというから、実際にはひと回り大きさが違うのだと判る(面積で比較すると、利尻島182km²に対して屋久島は505km²)。
屋久島は一週間に十日雨が降ると聞いたことがあるが(誰が云ったのか?)、今日も雨模様。島の反対側の天気が気になる。ネットを調べた範囲では、林芙美子の「浮雲」に「......一ヵ月、ほとんど雨ですな。屋久島は月のうち、三十五日は雨というぐらいでございますからね……」という一節があるらしい。閑話休題。
仲良く4人共ぐい呑みを手に入れた後は宿へ。ナビに寄れば、島の周回道路のすぐ傍のようだが、実際にはかなり高低差があり、ワンループの立体交差になった道を下っていくと今宵の宿「旅人の宿 まんまる」に到着。庭にはハイビスカスが咲いていて、南国ムード。母屋と宿泊棟との間が廊下で繋がっている訳ではなく、露天ウッドデッキというのも何となく南国風。風呂場はさらに離れた別棟にある。今回はここに2泊する。いよいよ明日は本番、だんだん気分が盛り上がってきた。

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今週は両神山。こんなクソ暑い時期に、それほど高山ではない両神山に登るのはやや酔狂かも知れないと思ったが、山頂には数人のハイカーが屯していたし、あとからもどんどん登ってくる。流石は深田百名山だけのことはある。でも殆どが日向大谷からのピストン。一方、我々は上落合橋からスタートし、日向大谷へ下るのが今回のプラン。西岳、東岳を越えてきた輩は他に見かけなかった(山の記録はこちら)。
個人的に八丁峠~剣ヶ峰間を辿るのは14年ぶり、しかも今回は逆コースなので、気分的にはかなり新鮮である。実際に辿ってみると、記憶以上に鎖が長いと感じたし、岩が濡れているところもあってなかなか気を抜けない。八丁峠から剣ヶ峰まで2.7kmしかないのに、およそ3時間も要した。
一方、剣ヶ峰から日向大谷までは拍子抜けするほど楽チンだ。しかし15時10分発のバスには間に合わなかったので、「両神山荘」でのんびりビールを呑みながらタクシーを待つことにした。思っていた通り、「両神山荘」は渋かった。
さっそくビールを頼む。この季節、ビールがあればいくらでもタクシーを待てる(秩父から呼ぶのでたっぷり時間が掛かる)。外は暑いからこっちでどうぞと女将さんに呼ばれ、玄関で呑ませていただく。なんとなく田舎にあるおじいちゃんおばあちゃんの実家(そんなところに実家は無いけれど)に帰った気分に浸れる。ご主人は畳部屋で甲子園の高校野球を観戦中だ。
女将さんにはいろいろ話を聞かせてもらったなかで、この界隈に人が住んでいる家はもはやここだけとのこと。何処かのテレビ番組じゃないけれど、正真正銘のポツンと一軒家の秘境なのだ。近いうちにここへ泊まりに来てみたい。

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越後の山も、越後湯沢界隈であれば日帰りも可能だが、米山となるとそうはいかない。今回、米山登山のために、なおちゃんにチョイスしてもらった宿は「わすけ」という、上下浜にある民宿。この地区には他にも2、3軒宿があった。今日の泊まり客はそれほどいないようだったが、大広間では宴会が入っていた。
男部屋は2階の北向きの六畳間。畳敷きで床の間もある純和室。一方、女部屋は西向きの十畳間。我々の宴会場はこちらに決定。荷物を置いたらともかく風呂だ。風呂場(男湯)は、ひとりで入るには充分過ぎる大きさである。
風呂上りは十畳間でひとりビール。夕食は6時からということで、ちょっとだけまったり。やがて夕食タイム。場所は1階の個室。今日のコースのお品書きがあり、数えて見るとご飯まで含め全9品。ご飯は地元産コシヒカリだが、たぶんそこまでは辿り着けないだろう。
民宿なので、見栄えよりもボリュームとか味で勝負しているのかと思いきや(見縊って済みません)、見栄えも味も凄い。ここは立派に割烹宿なのだと判る。刺身だけでもボリュームたっぷり、6種類もある。せっかく大女将さん(?)の説明を聞いたが直ぐ忘れた。
煮魚の真鯛も大振りなので、刺身と煮魚だけでかなり腹にきた。もう食べるのに一生懸命。酒はなかなか進まない。大女将曰く、この宿の名物はイカスミコロッケなのだそうだ。これじゃあもう、コロッケは喰えそうもないと思っていたが、出てきたのはひとくちサイズだったのでなんとか喰えた。
地図を見れば、この宿は海までわずか300mぐらしか離れていない。折角だから海を見に行けばよかったと思ったが後の祭り。翌朝は、上下浜駅まで歩いて10分(車だったら2分)の距離なのに、わざわざ車で送って貰った。この宿が人気なのはとても良く判った。

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お食事の館・旅人の宿 わすけのHP

伊予ヶ岳と富山に登った後は、岩井駅から館山駅までたった3駅ながら各駅停車の旅。それにしても、15時20分発を逃すと次は16時45分まで無いので、危ないところだった。浜金谷や保田辺りほど海に近いところを走るわけではないが、いつも乗る中央線や青梅線とは違い、そこはかとなく南国ムードが感じられる眺めがいい。
駅に着いたらタクシーに乗って、今宵の宿「まるへい民宿」へ。釣宿になっているだけあって、海に至近の場所にある。今日は冷たい風が吹いていて、外にいると凍えてくる。こんな天気でもじっとアタリを待つ釣り人の気が知れない。小生は断然、喰うだけの方がいい。
部屋に案内されると、廊下や階段、洗面所、客室内、食堂内等、至るところに注意書きがある。就寝時の布団の敷き方や座卓の収納方法、ひいては鍋蓋の置き場所まで、懇切丁寧に説明がある。全部読むだけでひと苦労しそうであるが、書いてあることは基本的に常識的なことが多いので、斜めに読んでも問題なさそうである。廊下や階段には何故か、さかなくんの絵がいっぱい。訊けば、さかなくんとここのご主人は懇意なのだそうだ。
風呂は2つあるとのことで、男女各々同時に利用可能。しかし家庭風呂並みの大きさなので、少なくとも小生が入った方は一人ずつがお勧め。風呂上りにビールをやったあと、ちびちびと酒を呑みまどろむ。
やがて夕食の時間。刺身に始まって揚げ物、煮物までずらり。インドネシアも海洋国家なのに、何故か魚よりも鶏肉を喰う機会が多く、魚介類に飢えていたが、その鬱屈を一掃する魚介尽くし。量が気になったが、ご飯を除けば何とか喰い切ることが出来、満足、満足。それでも、2年前に泊った西伊豆「美晴荘」の圧倒的なボリュームと較べてしまうと、割高感は否めない。「美晴荘」を体験したせいで、我々の幸せの幅が狭くなってしまったようだ。
(まるへい民宿の食堂)

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房総は東京に近い分、人気が集まるため値段が高くなるようだ。

途中、「舟平」でひと休みした後、そのまま、ちょいと酔い覚ましに潮風に吹かれながら、今宵の宿、「美晴荘」まで歩いた。今日は結局、そこそこ良く歩いた。「美晴荘」も「舟平」同様、民宿兼食事処で、1階に外来者用の食事処があった。今夜は、客室は満杯の様である。我々の部屋は3階。女子部屋は角部屋で広く、眺め良好。晴れていれば、海越しに南アルプスが見える。男子部屋はちょっと狭いが、山小屋を考えればまあ上出来。
荷物を整理し、ひと息ついたら汗を流すことにしようと、2階の浴室へ。男風呂は、先客無し。カランは3つ並んでいて、湯船もそれなりの大きさ。ひとりでは勿体ない。Woodyさんと凸さんは、部屋で寝ているのか。ちょいとノンビリし、さっぱりして風呂から出ると、女子陣は女風呂の前で、先客が出るのを待っている様子。女風呂は、かなり狭いので貸切にならざるを得ないようだ。
部屋に戻っても、皆さん未だ、風呂から上がってきていない状態。申し訳ないと思いつつ、勝手にひとり、湯上がりビールをいただく(洗面所の脇に缶ビールの自動販売機があった)。夕食まではまだ、多少時間もあるので、皆が持ち寄ったつまみもいただく。黄昏時の海を見ながら一杯やるのは、なかなか乙だ。目を凝らすと、南アルプスの白き峰々もまだ見えている。
夕食が出来ましたとの連絡があり、7人揃って2階の食事処へ。長い座卓が2つ並んでいて、その上に巨大な刺盛りが2つ、で~んと鎮座していた。刺盛りのメーンは立派なヒラメ。これ一匹だけで10人前ぐらいありそうだ。他にもタイやハマチ、マグロ、赤貝、イカ、甘エビ等々。刺盛りだけでも食べ切れるか心配になる。
料理は、他にもクルマエビの踊りや、もうちょっと大きめのエビ(種類は不明)の塩焼き、茹でズワイガニの片足分、焼きホタテ、オコゼの唐揚げが各々人数分、どんどん出て来る。そして最後にこれも巨大なキンメダイの煮付け(東京の店だったら、5,000円位は取られそうだ)が2皿。もう完全にギブアップ。そもそも、やっぱり刺身だけで満腹になってしまった。これじゃあ、育ち盛りの人間を、何人か連れて来ない限り、到底食べ切ることは不可能。勿体ないことをしてしまった。
これで1泊2食付き8,100円は驚くほどリーズナブルだ。この宿だけが特別なのか判らないが、やはり少なくとも年一回は、海に近い山に登るとしよう。 

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鏡平から笠ヶ岳は、将に日本アルプスらしい稜線漫歩の気分が味わえ良い気分。一方、笠ヶ岳からの下り、クリヤ谷ルートは、他の北アルプスの登山道に較べると、利用者が少ないせいかやや荒れた印象だが、特段不明確な部分はないので、道迷いの心配は無い。笹に捉まりながら下りる部分は、上越国境周辺の登山道を彷彿させる。途中で、テントを担いだ単独行2人と行き違ったが、ここを登る根性は大したものだと感心する。
岩稜帯の下りや大小様々な石の乗り越え、沢の渡渉等、それなりに変化はあるものの、標高差約1,900m、下りだけで6時間余というのは、はっきり云って飽きるし、疲労で足の動きも次第に鈍くなる。誰も怪我無く(除、軽い打撲や擦過傷)下りられたのは、ともかく幸いと云うべきだろう。
途中、歩くペースの違いから二つの班に分け、A班の登山口到着時刻は15時49分、一方、B班は16時39分で、結果的に約50分のタイム差で済んだ。A班は、中尾高原口BSで15時59分発のバスに間に合ったとのことだが、B班を待っていてくれた。その間、ビールを探し回ってみたが、見つからなかったらしい。地元の商工会の方に云いたい。是非、中尾高原口BSに、缶ビールの自動販売機を置いていただきたい。レギュラー缶500円だって買うな、きっと。
中尾高原口BSから、今宵の宿「宝山荘」がある上栃尾BSまで、バスだとわずか8分だが、歩くと1時間。既に13時間余り歩いた後では、とても更に1時間歩く気にはならないが、宿の送迎は無く、辺りにタクシー会社も無いとのこと。つまり16時59分発のバスを逃すと、もう1時間待たなくてはならなかったので、その点でもB班の到着時刻は上手い具合だった。
「宝山荘」は上栃尾BSの直ぐ前。よたよたと玄関に辿り着く。仲居さんには暖かく迎えられるが、もうビール無しには何もしゃべれないし、何も出来ない。直ちに1階の自動販売機で缶ビールを購入し、部屋に入ったら着替えは後回しに、先ずはおつかれさん乾杯。うひ~、美味い。あ~、ほっとした。もう夕食の時間がせまっているので、そうのんびりもできない。さっと風呂(もちろん温泉)に入って汗を流したら、すぐに食事処へ。
料理は奥飛騨温泉郷にある宿らしく、基本的に地のものらしいメニュー。もちろん、高山名物の朴葉みそ焼きや、飛騨牛の陶板焼きも出てきて、十分に満足。酒は高山、平瀬酒造店の久寿玉。もう、なにも云うことは無い。めでたし、めでたし。

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前日の斑尾山に全く雪が無かったので、鍋倉山もやや危ぶまれたが、なんとか雪が残っていて呉れた。あわよくば、ブナの芽吹きと根開きした残雪の両方に出会えるかも知れないと期待したが、芽吹きにはやや早過ぎたようだ(山の記録はこちら)。
ゲート手前の車道からの取りつき部は、かなり藪が出ていて少々躊躇する。踏み込めばすぐに残雪となり、今度は道形が判り難い。適当に沢沿いに進むしかない。夏道のように南へ大きくトラバースするルートは、かなりの急斜面、誰かが落ちても困るので、ちょっと行き難い。
さらに沢沿いに進めば、やがて見渡す限りブナの森。傾斜も緩やかとなって、なんとも心地良い領域。今日は風も無く、鳥の鳴き声と沢の音しかしない。もう稜線は目の前。日差しが強い。ゆるゆると尾根に上がれば、もう鍋倉山山頂は指呼の距離。ここはいわゆる、信越トレイルの一角である。山頂周辺も藪に覆われているため眺めは良くない。僅かに西側が開けていて、彼方に雪を被った山。妙高連山辺りが見えているようだ。山頂には二人パーティが山ごはんを調理中。いい匂いが漂ってくる。スノーボードを背負ってきたようだが、こんなところでもバックカントリースノーボードができるのだろうか。
黒倉山への道が判り難いが、適当に藪へ突入すると、すぐに夏道を見付けられる。この先、関田峠までは、雪が溶けている部分は夏道を辿ることが出来るが、残雪に阻まれると藪が薄いところを適当に進むといった作業を繰り返す。時々、藪漕ぎを強いられたり、気を許すとガボったり、はたまた雪に埋もれていた枝が目の前で突然跳ね上がったりと、なかなか進むのに難渋する。たっぷり残雪があれば、全ては雪の中で楽だったのだが、この中途半端に少ない雪では致し方ない。
それでもそれなりに、残雪の山を堪能したら、関田峠から車道をてくてく戻る。途中、道の両脇はフキノトウだらけ。それを見たあひるちゃん、のりちゃんたちはせっせとフキノトウ採り。ゲートまで戻ったら、宿の迎えを待つ間、路上で野点。駐車場には十数台の車が止まっている。山中では殆ど人に会わなかったので、この車の数に見合う程の人たちはいったい、何処へ行っているのだろう。
宿に戻り、まだ時間も早いので少々昼寝。暫し贅沢な時間をまどろみ、眠気覚ましに風呂に入ったら、ビールやワインを呑みつつ明日の予定を確認。そうこうしているうちに、夕食時。またまた色々な料理が並ぶ。そのなかに、さっき摘んだばかりのフキノトウの天麩羅もあった。エグみが仄かで、まさに採りたての味だった。

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今回の山行では、先ず2泊で斑尾山と鍋倉山に登る計画を立てた。3日目は完全観光モードにするとして、2泊は何処に泊まろうか、と云うことになる。それによっては、山に登る順番も考える必要がある。この頃はすっかり堕落しているので、出来れば同じ宿に連泊したい、2つの山に登る際は、最低限の荷物にしたい、などと我儘なことばかり思い浮かぶ。
当初は、神楽坂で入った「酒蕎庵まろうど」の姉妹店で、斑尾高原にある「宿と蕎麦処 まろうど」に泊まろうかと考えていたのだが、1日目はそれでいいとしても、2日目の鍋倉山往復がかなり厄介である。ならば1日目に鍋倉山に登り、その足で斑尾高原まで戻ってくることも考えたが、やはりかなり強行軍。それに、足をどう確保するか、という問題もある。
あれこれ考えた末、やはり宿は鍋倉山に近い、戸狩温泉界隈に求めるのが妥当だろうということに思い至る。しかも、送迎付きであれば申し分ない。その条件であれこれ探した結果が「岸田屋」だった。勿論、風呂は温泉。それに、行ってみて判ったことだが、ここは旧国鉄時代の鉄道グッズが所狭しと展示されていて、鉄道ファンならずとも、なかなか楽しい。小生の部屋の扉には、「L特急あさま」のネームプレートが付けられていた。また、学生のスキー合宿の写真も其処彼処に飾られていた。
これも宿の人に教えて貰ったことだが、戸狩温泉にある民宿は何処も、自然体験教室、体験修学旅行、林間学校、移動教室、ファームステイ、セカンドスクールなどの学習旅行に積極的なのだそうだ。従って、スキーシーズンでなくても、結構、泊まる人があるという訳。それでも今回泊まった初日は我々だけ。広々とした風呂も一人きりでのびのび入らせてもらった。
夕食は、華やかさは無いが地の食材が使われており、それぞれちょっとした工夫がされた料理で、どれも美味い。女将さんと大女将は、料理上手のようである。また明日も楽しみである。

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岸田屋のHP: こちら 

三斗小屋温泉から流石山、大倉山、三倉山と越えて下界に下りたら(山の記録はこちら)、無理すればそのまま家まで帰れるものの、折角なので地元の温泉に浸かり、地のものを食し、地酒も飲みたいのが人情。そうなると当然、宿に泊まるのが自然の摂理というものだ。那須の山に登って会津(福島)側に下りたのも今回初めてである。今が将に実りの時期、黄金色の田圃と真っ白な花を咲かせた蕎麦畑が広がっていて桃源郷のようだ。今回は久々、隊長と二人での山旅、湯野上温泉にある民宿「にしきや」に泊ってみた。外観は茅葺屋根の古民家そのものであるが、内装は意外とモダン。風呂もたっぷりの大きさで快適である。
そもそも、この宿に予約を入れたのは、1泊2食に地酒1合まで付いて税込9,180円というプランに惹かれたから。それにここは珍しく一人客でも受け入れてくれる(当初は一人での予約だったので)。夕食に出てくる地酒は一人1合のはずだったが、隣の席の方からのありがたいお裾分けもあり、都合、4種類の地酒を頂くことができた。内訳は・・・
「会津娘 純米」(会津若松/高橋庄作酒造店)・・・芳醇だが素朴で呑み飽きないタイプ。
「風が吹く 山廃純米吟醸生酒」(会津美里/白井酒造店)・・・旨味と酸味がバランスしていて、キレも適度にある。
「国権 道一筋 本醸造」(会津田島/国権酒造)・・・淡麗でスッキリ、呑み飽きないタイプ。ラベルが斬新。
「写楽 純米」(会津若松/宮泉銘醸)、フレッシュ感とコクがいいバランス。
この頃の造り酒屋では、製法や精米歩合だけでなく、酒米や酵母も様々に変えた多品種少量生産をウリにしているところが増えたが、この「風が吹く」や「写楽」もそうらしい。特に「風が吹く」は他の種類も色々試してみたい感じがした。隊長は「道一筋」が気に入った様子。もちろん酒だけではなく、会津名物「こづゆ」や、同じく会津名物らしいが、このところ何かと食すことが多い「馬刺し」も十分堪能した。「山から下りたら・・・」をそのまま具現化したような宿だった。

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