まだ秋山二十六夜山に登ったことがない、という声が多かったので、8年ぶりに行ってみることにした。前回(はこちら)は雛鶴峠から上がったが、今回は棚ノ入山から秋山二十六夜山を登ることにして、それだけだとやや尺が短いので、寺下峠を越えて梁川へ下ることにした。8人の大パーティーとなったので、バスの折返し場所である赤倉岳BS(バスの終点はもっと手前の無生野BS)までジャンボタクシーで乗り付けた(今回の山行記録はこちら)。
二十六夜山は、いわずと知れた二十六夜待の行事が行われていたところで、毎月ではなく旧暦の1月26日と7月26日に限られていた。旧暦の7月26日というと、今年は新暦で9月10日、月齢が24.7ということなので、三日月よりもやや太った状態である。月が出た時の光の中に、阿弥陀・観音・勢至の三尊の姿が見えるらしい。
月が出るのが何時頃なのか定かではないけれど恐らく夜半過ぎ、浅夜の頃だろうからそれまで山の上で飲み続けるのも大変だが、涼しくて気持ちが良かっただろう。この行事が廃れて今に残っていないのは、どうやら水野忠邦や鳥居耀蔵による天保の改革の、綱紀粛正によるものらしい。お上に目をつけられたくらい、それなりに華やかにやっていたということだろうから、今も存続していればどのようなことになっていたのか、考えるとちょっと楽しい。でも不思議と、復活させようという話は聞かない。
アップダウンを繰り返して、寺下峠から下ると梁川駅の手前、塩瀬集落に立ち寄り入浴(駅への送迎付きで入浴料800円)ができる「民宿やまみち」という宿がある。この界隈ではとても貴重な立ち寄り湯である。今回はここの訪問も目当ての一つだった。出迎えてくれた大女将が「湯が温くてすみませんね」と云っていたが小生には丁度良かった。この宿にはまた来たいが、登る山の選択肢が少ないのが悩みである。
二十六夜山は、いわずと知れた二十六夜待の行事が行われていたところで、毎月ではなく旧暦の1月26日と7月26日に限られていた。旧暦の7月26日というと、今年は新暦で9月10日、月齢が24.7ということなので、三日月よりもやや太った状態である。月が出た時の光の中に、阿弥陀・観音・勢至の三尊の姿が見えるらしい。
月が出るのが何時頃なのか定かではないけれど恐らく夜半過ぎ、浅夜の頃だろうからそれまで山の上で飲み続けるのも大変だが、涼しくて気持ちが良かっただろう。この行事が廃れて今に残っていないのは、どうやら水野忠邦や鳥居耀蔵による天保の改革の、綱紀粛正によるものらしい。お上に目をつけられたくらい、それなりに華やかにやっていたということだろうから、今も存続していればどのようなことになっていたのか、考えるとちょっと楽しい。でも不思議と、復活させようという話は聞かない。
アップダウンを繰り返して、寺下峠から下ると梁川駅の手前、塩瀬集落に立ち寄り入浴(駅への送迎付きで入浴料800円)ができる「民宿やまみち」という宿がある。この界隈ではとても貴重な立ち寄り湯である。今回はここの訪問も目当ての一つだった。出迎えてくれた大女将が「湯が温くてすみませんね」と云っていたが小生には丁度良かった。この宿にはまた来たいが、登る山の選択肢が少ないのが悩みである。