山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

旅館

コロナ禍のせいで今シーズンは殆どスノーシューを履いていなかったので、これが最後のチャンスだろうと勇んで鹿沢温泉へやってきた。本来は吾妻線の万座鹿沢口駅からアプローチするのが常套。しかし今回は、時間を金で買って、しなの鉄道の滋野駅からタクシーを飛ばすことにした。どんよりとした空模様だった。
個人的に今回の宿「紅葉館」は2回目なのだが、その時に泊まったはずの旧館の向かいにモダンな木造新館が出来ていた。かつて西堀栄三郎たちが天下国家を論じていた(?)頃の鄙びた感は失われたものの、また新たな世界の「紅葉館」が生まれていたと知る。
荷物を置かせてほしいと頼むと、部屋に案内された。もう泊まる部屋に入れるということだ。余計な荷物をリュックサックから取り出し、雪用のウェアに着替え、スノーシューとストックを持って出発。所々、雪が融けてしまったところもあるが、標高1,600mを過ぎると一面の雪。やや緩んでいるので、キックステップで登れるような状態ではない。1,660m付近でスノーシューを履き、夏道を離れて角間山を直登するコースをとる。笹藪を避けながら登り、山頂直下の急登をクリアすればもう山頂だった。暫くするうちに青空が見え始め、湯ノ丸山や篭ノ登山、水ノ登山などが見えてきた。
思いの外早く山頂に着いてしまったので、復路は角間峠を経由してゆっくりと下った。それでも宿に戻ったのは午後2時前。さっそく風呂へ。ここの浴室は超レトロ、昔のままだった。誰もいない湯船にゆったり浸かる。湯上りは部屋に戻って、ビールを呑みながらつまみを突く。
陽が暮れてくると夕食の時間。食堂へ行くと、我々以外にもう一組だけだった。吹き抜けになっていて解放感あり、なかなかいい気分。BGMはジャズ。レコード盤を替えに来るのは大旦那、料理番は若旦那、給仕は大女将だった(女将はお子さんの相手で忙しそうだった)。雰囲気も料理も兎に角、申し分なかった。

05 雪はだいぶ少ない感じ。
08 この辺りから夏道を外れて登る。
11 藪漕ぎにならないように。
13 稜線に出た。
17 ハイ、ポーズ。
31 こんなに晴れるなんて望外だ。
32 浅間連山パノラマ。
36 スノーシューが役立っていてうれしい。
42 日差しが強くなったので・・・
47 一本白樺。
48 もう下ってしまうのは惜しい。
50 フクジュソウ。
51 紅葉館に戻った。
52 一人じゃ勿体ないほどゆったり。
53 風呂は離れ。
54 湯はうすにごり。
56 湯船と打たせ湯は源泉が違っていた。
57 湯上りビール。
58 今宵の献立。
59 燗酒で乾杯。
60 BGMはベニーグッドマン。
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61 【第2日目】こちらは女風呂。
62 西堀栄三郎の直筆。
63 先々代の似顔絵。
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64 朝食のメインは湯豆腐。
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66 宿の大女将と。

首尾良く「天丸」でビールを呷った後は上毛高原駅に戻り、今宵の宿「汪仙閣」の送迎バスに乗り込む。これで山登りモードは終了し、お殿様、お姫様の扱いを受けることになる(それほどでもない)。上毛高原駅や途中、寄っていく水上駅(いまどき、特急すら停まらない水上駅まで電車で来る輩がいるのかと思っていたが、実際、乗ってきた客がいた)辺りはまだ豪雪地の雰囲気でもないけれど、宿に近づくにつれ急に積雪が増え、宝川温泉界隈まで来るとまさにドカ雪が降ったことを実感させる風景。
玄関を潜ると先ず検温。何故か小生だけは(さっきの酒のせいか?)何度測っても37度以上あるとの表示、まじ?結局、入館拒否までされなかったが宿の係員に、具合が悪くなったら直ぐに知らせて欲しい、と懇願された。でもそんなことは直ぐ忘れた。フロントにはかなりの客が群がり、受付順番待ち状態。客層は概ね我々よりもはるかに若い(特にカップルが多い)感じ。これもご時世か。
漸く部屋に入ったら、早速風呂だ。露天風呂は洗い場が無いとのこと、先ずは内湯でさっぱりしてから、吊橋を渡って露天風呂へ。いくつかあるらしいが雪が凄くてよく判らず、皆が入っていく方向へ付いて行く。以前は違ったようだが、この頃は男女とも湯浴み着がマスト。服を着て風呂に入るのは個人的には初めて。何となく風呂に入ったような感じではない。湯も個人的にはぬるめで、一度入るとなかなか出る勇気が湧かない。
そうこうしているうちにとっぷりと日が暮れ、いつの間にかライトアップされた雪景色。本館へ戻る雪径はだいぶ雰囲気が良くなった。
部屋に戻って、缶ビールを呑んだらもう夕食タイム。食事処には他に何組かの客(皆、家族連れかカップルなので、我々のような集団は異質)が来るので、街のレストランと大差はないなと感じる。腹がくちたら皆、忽ち眠くなる。生活習慣病対策として「夕食を食べたら最低2時間は眠らないように」と俗に云われるが抗えず、8時にならないうちに全員就寝となった。

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小河内ダム脇の「水と緑のふれあい館」内にあるパノラマレストラン「かたくりの花」でビールを呑んだ後、奥多摩湖BSに戻ると結構な行列が出来ていた。我々は(リュックサックが順番待ちしていて)先頭。バスはまだもう少し先かなと思っていたら、直ぐにやって来た。しかも空車。奥多摩湖BS始発の臨時バスのようだった。
バスに乗ったら、さて次は風呂だ。相変わらず「玉翠荘」は日帰り入浴を止めている。もう日帰り客を見放したのかも知れない。「観光荘」も同様に日帰り入浴を休止しているので、もはや奥多摩駅界隈で汗を流せるのは実質的に「もえぎの湯」と「麻葉の湯」の二択になっている。
このご時世、奥多摩に登るハイカーは何人ぐらいいるのか分からないが、皆、そろって「もえぎの湯」に入るとも思えない。だいたい、「もえぎの湯」は真冬でなければ若者キャンパーの御用達となってしまっている。大半は難民の如く、風呂も浴びずに帰るのかも知れない。
何れにしてもこのウィズコロナ時代に、若者達の密度が濃い「もえぎの湯」に入るなんて気はサラサラ起こらないので、「麻葉の湯」は必然だ。このまま帰ると云う菊丸と別れ、南二丁目BSで下車。赤指山の帰りに寄って以来だからつい1ヶ月ぶり。今後も当分、お世話になりそうだ。
前回同様、フロントで1,000円を支払った後、ここではビールが呑めないので(別棟に「土蔵食亭」なる食事処があるが、残念ながら15時で閉店)、アヒルちゃんに待ち合わせ場所は「駅の2階」だと伝えてから階段を下りて地下階へ。母屋を出たら目の前が別棟の湯屋。女湯はそのまま、男湯は更に石段を下りて入る。誰もいなかったが、後から一人だけ入れ替わりに入ってきた。大きな窓から庭を眺められる湯船は相変わらず気持ちが良い。多摩川はすぐ下にある筈だが良く見えない。
程良く温まったらまたフロント階へ戻る。身体が冷えないうちに、早いとこ駅に向かわないと思いながら、そのまま靴を履いて外に出ると、外はもう陽が陰っていた。奥多摩駅周辺の昼間は短い。

62 今日もここで汗を流す。
63 もう奥多摩の街には日が暮れた。

2日目の山は、田代山&帝釈山。小生が高校山岳部に入った際、この山が新人歓迎山行直後の6月の山行計画に入っていたのに、1年生はまだ無理だから(あるいは勿体ない?)と2年生だけで行ってしまい、我々1年ぼーずは居残り。その時の悔しい思いでそれ以来、いつかは行こうと思い続けていたのが、いつの間にか40有余年が経ってしまった。それだけに、この山には特別な思い入れがある。
宿から登山口まではまたタクシー。運転手に、戻ってくる凡その時間を伝えようとすると、「登山口でずっと待ってますから大丈夫」だと。えー!そんな丸1日貸切でいいんですか?と云えば、この登山口までの道(つまり悪路)を1日に2往復もしたくないんです、との返事。まあ確かにタクシーは基本的に歩合制なので、タクシー会社はその判断に関知しないのかも知れないが、何だか猛烈に申し訳ない。出来るだけ早く戻ろう、という気が自然と起きる。
とは云うもののいざ、田代山の、山頂に広がる異次元的とも云える平坦な大湿原と、帝釈山からの、見たことが無い南会津の茫洋とした山々の眺めに出会うと、時間的な観念はきれいに吹き飛び、いつまでもここに居たいと、結果的にはほぼコースタイム通りで登山口へ戻ってきた。
もう後は帰るだけ。何処で汗を流そうかと思い悩む。湯ノ花温泉の何れかの共同浴場に入ろうかと考えてみたものの、やはりタクシーを何度も使うのは面倒だし時間もかかるので、会津高原尾瀬口駅に近い「夢の湯」が良かろうと、そこへ向かう。
玄関で靴を脱いで上がると、受付には誰もいない。声を掛けると、奥から中学生(高校生?)のような女の子が出てきた。留守番を仰せつかっているらしいが、どうやらテレビゲームに夢中だったようだ。500円を支払って地下階の風呂場へ。なかなかいい湯だったが、実は山中で足を捻挫したので湯舟には浸からなかった。風呂から上がってみると、休憩室は使えない様子。仕方なく、自販機でビールを買い、玄関脇のソファーでグビッとやった(山行記録はこちら)。

072 ここが登山口。8時19分。

074 冷え込んだので霜が降りている。

075 径は良く整備されている。

076 日影はじっとしているとちょっと寒い。

081 木道になった。

084 まさに小さい田代。

086 この辺りはすっかり秋も終わり。

088 あちらは関東平野。目を凝らすと筑波山が見える。

089 今日も裾野が美しい高原山。

090 田代山湿原はもうすぐ。

094 湿原の向こうに会津駒ヶ岳。

095 気持ちが良い湿原歩き。

099 奥の右端は三岩岳か。

102 山上の地平線。

104 あれは吾妻連峰かと思ったが・・・

108 木々の間から帝釈山

110 ちょっとだけ下り。

111 北側はややスリッピーなので、今シーズン初チェーンスパイク。

113 梯子だってある。

114 帝釈山、到着。

120 こちらが北。遠く飯豊連峰を望む。

121 こちらが東。ちょっと右に高原山。

122 燧ヶ岳が端正。

125 我々だけの山頂。

126 うるうると続く山なみ。

127 何度も撮ってしまう高原山。

128 帝釈山方向から見ると、田代山に大湿原があるようには見えない。

131 ずっと飛んで「夢の湯」に立ち寄り。

132 この「おもしろ実験」が興味深い。

133 玄関スペースで湯上りビール。

134 外は肌寒い。

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「会津アストリアホテル」から今宵の宿がある湯ノ花温泉まで、再び会津交通タクシー乗車。今日のタクシー料金は締めて10,000円ほどになるものの、GO TOトラベルの地域利用クーポン券が貰えるので、無料で乗れたことになる。まったくありがたいことだ。
およそ20分で旅館「末廣」に到着。湯ノ花温泉は随分昔から、木賊温泉と共に、一度は行ってみたいと思い続けていた温泉なので、漸く願いが叶った。湯ノ花温泉は、もっと険しい渓谷にポツンとある鄙びた温泉のようなイメージ(というか個人的妄想)だったが、意外と開けて明るい感じの集落。「末廣」も鄙びてはおらず、割と小さっぱりした雰囲気。「日本秘湯を守る会」の宿でもある。
チェックインを済ませ、1階にある部屋に入ったらさっそく風呂。貸切露天風呂もあるが、とりあえずは内湯へ。先客無し。ここの湯は加水なし、源泉かけ流しの贅沢さ。しかも露天風呂と内湯とは源泉が違うらしい。のびのびゆったり浸かって1日目の疲れを解す。
風呂から上がったら、途中にある自販機で缶ビールを買って、部屋に戻ってグビッとやってまったり。あとは持参したつまみと日本酒で、またまったり。窓の外には紅葉した山が見渡せる。
そうこうしているうちに日が暮れ、夕食時。食事処へ移動。食事は派手さは無いものの、どれも地のものを使った料理のようで味わい深い。日本酒は、「日本秘湯を守る会」のラベルが張られたボトル。こんなの見たことが無いが、中身は地酒が入っていたようだった。食事処には我々以外には3組ほど。皆、静かに食事を楽しんでいたようで、我々の声だけが響いていた。
今回ちょっとだけ心残りだったのは、4つある共同浴場に入れなかったこと。次回は雪解けの頃に来て(山はこれから考える)、何れかの湯に入ろうと思う。

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062 ところ変わって今宵の宿、末廣の男風呂。

063 こちらは貸切露天風呂。

064 露天風呂の湯舟。

065 風呂場の下は湯ノ岐川。

066 地産夕食。

067 日本酒も地酒。

068 【第2日目】朝、部屋の外の眺め。

069 朝食も素朴。

070 マイタケ御飯が美味かった。

071 さて出発。

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赤指山の帰り道。バスに乗って奥多摩駅へ向かう。この次は、いつもの順番でいくと風呂になる。奥多摩で風呂となると、これまでは専ら「玉翠荘」ばかりだったが、今は日帰り温泉を受け付けていない(あるじが代替わりしたせいか?)とのことで、選択肢は「もえぎの湯」か三河屋旅館の「麻場の湯」の何方かになる(駅周辺には他に旅館「観光荘」も立ち寄り湯をやっているが、14時半までなので、多くの場合、間に合わない)。後者の方が近いし、どうせ前者は混むだろうからと、久しぶりに「麻場の湯」に行ってみた。
南二丁目BSで下車すれば、三河屋旅館は目の前。玄関で靴を脱ぎ、フロントで1,000円を支払うと、女湯は階段を下り建物を出て目の前、男湯はその更に下ですと、女将(?)が説明。それよりも気になるのは湯上りビールで、それ次第で待ち合わせ場所も変わるので聞いてみると今度は主人(?)が「(立ち寄り湯の人は)ここでは呑めないんです」と。登山姿の人がビールで良い気持になって、ロビーをウロウロするのはこの宿の雰囲気には合わないので・・・、と顔に書いてある気がするが、たぶんコロナ禍のせいだろう。まあしょうがない、待ち合わせ場所は奥多摩駅の「エキウエ」にしようと申し合わせ、階段を下り外へ出る。
風呂場は全く別棟になっていて、川底へと向かう斜面にへばりつく感じになっている。「玉翠荘」の母屋と同じ感じだ。男湯には先客が居たが、丁度入れ替わりで出て行った。風呂場は「玉翠荘」よりも広くて眺めも良い。これならば1,000円取られても仕方がない感じだ。
風呂から上がってサッパリしたら、ロビーへ上がりソファーに座ってWoodyさんを待つ。待っている間に女将(?)が仲居さんとかに勤務表を配っていた。このくらいの規模の宿となると、やはり交代勤務になるのかと知る。すると後からやって来た仲居さんが「あれ、勤務表が無いです」と女将(?)に云い、女将(?)はすかさず「▽◎※さん、また2枚持って行った!困るな!あのひと!」とひとしきり騒ぐ。全く小生は客とは思われていない風情だった。

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無事に八海山に登頂して、ロープウェイ山麓駅で祝杯を挙げた後、呼んだタクシーで再び「五十沢温泉ゆもとかん」へ。別に今日は泊まる訳ではなく、立ち寄り湯して帰るだけなのだが、宿のご厚意により入浴料を無料にしてもらった(勿論、交渉係は小生ではない)。
昨日は岩風呂にしか入らなかったので、今日は内湯。入ってみると十分な大きさなのに、誰もいない。まだ時間が早いので今日泊まる客もやってきていないのだろう。ゆったりと湯船に浸かる。
風呂から上がったら、また昨日と同じように自販機で缶ビールを買う。サッポロビールの新潟限定版だった。味に違いがあるのか判らないが何となくこれだけで旅気分。何処で呑もうかとぶらぶら行くと、玄関脇のロビーにいっぱいテーブル席があるので、そこの一角に陣取りプシュッとやる。まだ他の皆は風呂から戻って来ない。
それにしても今回、ロープウェイの運行時間が8時から16時まで制限されているやら、登山客が多くて抜いたり抜かれたりする頻度が多いやらで時間が掛かりそうだったので、果たして山頂(大日岳)まで行けるのか怪しかったが、何とか登れて良かった。とりあえずホッとした。
だいたい、こんなタイミング(紅葉の最盛期)で15人のツアー団体なんて大迷惑だ。歩くペースの違いによって、抜いたり抜かれたりは普通によくあるが、彼らは歩くペースが我々より早いのに、何故か20~30分に1回ぐらいのペースで休みを入れる。どゆこと?
折角立ち止まって先を譲ってあげたのに、今度は我々が抜かざるを得ない。道が狭い上に皆マスクなんかしていないので、コロナも気持ち悪い。これを何度となく繰り返すとイライラが募ってくる。もう先なんか譲ってやるか!という気ももたげて来る。精神衛生上、迷惑だ。
とにかく、登山ツアーの連中(というか先頭を歩くツアコン)は明らかに休み過ぎ。もうちょっとペースを遅くして、50分~1時間に1回ぐらいにすべきだ。そしてもちろん、身体(筋肉)が冷えないよう休み時間は5分ぐらい。こんなのは山登りのイロハのイでしょ?ツアコンさんよ、わかってる?

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今回は六日町に近い「五十沢温泉ゆもとかん」に泊まって八海山を登るプラン。1日目は余計な荷物をデポするためにいったん宿に立ち寄る。「五十沢温泉ゆもとかん」に泊まるのは、2013年5月以来だからもう7年ぶりだ。場所は記憶通りだし、外観も変わっていないような気がするが、違うのはやはり季節。あの時は、周囲の名も知らないような山でも、全て残雪を被っていたと思う。
当間山から戻ったらチェックイン。やはり手の除菌と検温が条件。5階の部屋に上がって外を見ると、変わらぬ長閑な眺めだ。さっそく岩風呂へ。男風呂と女風呂との仕切りが随分低い気がするが、気のせいかも知れない。露天風呂へ移動してみても、こんなのだったっけ?という感じ。7年前はだいぶ酔っぱらっていたのだろうか。
風呂から上がってさっぱりしたら、自販機で缶ビールを買って部屋呑み。まだ時間が早いので外の景色を眺めつつ、酒と肴でのんびりと過ごす。そのうちに夕刻、今日は夕焼けがきれい。明日は晴れそうだ。
やがて18時になったら夕食。2階の夕食会場へ。
今日の泊り客はそれなりにいるようだが、この部屋は我々だけ。40畳ぐらいあるだろうか。そこに8人では寂しいくらいだが、このウィズコロナ時代に悪かろう筈がない。まさか我々だけ隔離されたわけでもあるまいが。部屋はふんだんにあるということかな。
料理は盛り沢山で、すっかり腹を空かせていても、ご飯まで辿り着けるかどうか。既に我々酒呑みは、ビールやら日本酒やら(ついでに乾き物やら)が入っているので完食は到底無理だが、美味しくいただいた。もちろん、地酒(やっぱり八海山)ももらった。まだメインイベント(八海山の登頂)は明日、でも盛大に前祝をやった。

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063 五十沢温泉ゆもとかんに到着。

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白駒池から下りて、八千穂で時間を潰したあと、11時30分発の気動車に乗る。まだ汗を流していないので、何処か立ち寄り湯に入りたい。何度も調べていることながら、佐久界隈ではいくつかの選択肢がある。手っ取り早いのは佐久平駅に近い「佐久平プラザ21」の中にある健康ランド。ここは4年前に入ったことがある。交通の便も良いのだが、まさに健康ランドなので田舎の情緒が無い。
他に佐久平には、車が無いと行けない「みはらしの湯」とか「あさしな温泉 穂の香乃湯」とかある。何方にしようかと考えていたが、その後のことも考えれば小諸界隈にした方が良さそうだと思い立ち、だったら一度泊まってみたかった「中棚温泉」に寄ることにしてみた。ここは島崎藤村ゆかりの宿として有名である。
小諸駅からタクシーで行ってみると、建物は千曲川の河岸段丘の縁に建っているように見える。玄関に入って立ち寄り湯を所望すると、丁度先客が入っていて混んでいるとのこと。だったらラウンジでビールでも呑んで待つかと、荷物を預かってもらったりビールを注文したりするうちに、女湯がOKとなり、それから暫くして男湯もOKとなったので、結局ビールは後回しにして風呂場へ向かう。
風呂場は離れにあって、しかもちょっと登ったところにある。千曲川でも見下ろせるのかと思ったが、どうやら見えそうにない。湯屋に入ってみると、脱衣所の隣に洗い場と湯舟が見える。つまり仕切りが無い。これは葭之池温泉と同じで珍しい造りだ。
しかもここの脱衣所は畳敷きと珍しい。濡れた足では憚れるが大丈夫なのだろうか。さらに扉の奥に露天風呂もあった。こちらはややこじんまりしている。何方かと云えば、内湯の方が良い感じ。汗を流し、さっと入ったつもりだが、後から後からなかなか汗が止まらない。
ラウンジに戻り、お預けとなっていたビールを呑んで、漸くひと心地ついた。それにしてもいい雰囲気の宿で接客も申し分ない。是非、次は泊りで来たい。

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今週末に目指した山は、奥多摩の九龍山(またの名を九重山)。この山が山行計画の俎上に乗ったのは、菊丸からリクエストがあったためなのだが、ウィズコロナの時代としては、なるべくなら(ちょっと密になる)バスには乗らず、駅から歩ける山がリスク削減の点からも好ましいという気が働くので、そんな点からも九龍山は悪くないんじゃないかなと選んだのだった。
奥多摩駅から西は、多摩川右岸の登山道は鋸尾根を始めとして何れも登り応えがあるなかで、この九龍山から江戸小屋山を経て鞘口山へと連なる江戸小屋尾根(という名前が付いていると「松浦本」で知った)は、それ程の険しさが無いので天候に左右されない感じだし、人気(ひとけ)の無いコースなので静かな山登りを楽しめる。、ウィズコロナ時代に相応しいだけでなく、我々にもお誂え向きな山だ。
当日は朝から今にも泣き出しそうな空模様で、案の定、登り始めて直ぐ本降りの雨となった。踏み跡はしっかりあるので(取り付いて直ぐはやや藪っぽいが)足元に不安は全くない。九龍山、江戸小屋山、鞘口山までは難無くクリア。
九龍山はどうってことない山だが、その先、江戸小屋山までは西側が伐採地なので、雨模様でも眺めは悪くない。その雨は途中で上がりガスも切れてきて、見る見るうちに御前山が姿を現してちょっと得した気分。
結構大変なのは、鋸尾根の下り。昔からここは、登るうえでも下るうえでも難儀な場所だ(特に冬季は緊張を強いられる)。それでも愛宕神社まで辿り着けば、もう奥多摩の街は目の前。でも安心することなかれ、この後の下りで何故か径を踏み外し、よりによって地蜂(たぶん、クロアナバチ。スズメバチじゃなくてほんと良かった)の巣に頭を突っ込み、怒り狂った蜂たちに強か刺された淑女もいるのだ(とばっちりで刺された紳士もいる)。
尾根の末端にある、名物の急階段を下ったら、最寄りの玉翠荘へ向かい、汗を流すことにする。Woodyさんと地下1階の男子風呂に入って(一方、女子達にはまだ地下4階までの階段地獄が待っている)、いつものようにサッと入ってサッと出た。

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ウィズ新型コロナ山行第2弾且つ奥多摩の重箱の隅を穿る山行第2弾は、奥多摩の三ノ木戸山。はっきり云ってこんな山、今まで地図上でも気にしたことが無い。改めて地図を見る限り、石尾根縦走路から僅かに外れているので、きっと登ったことはないのだろう。石尾根を末端の奥多摩駅から登るのは、恐らく高校1年生の夏山トレーニング以来のはず。つまり45年ぶりということになる。そのときもたぶん、三ノ木戸山はスルーしたはずだ。
何故この山かと云えば、先週(頭窓山~三ノ戸山)と同様、東京都、埼玉県及び神奈川県内で(基本、県外移動が自粛されているため)バスを使わず駅から登れる山で、余り人に踏まれていない山は無いか、と地図を舐めるように俯瞰した次第。出来れば、個人的に初登頂であればなお良い。
三ノ木戸山は何れの条件にも合致した山で、人気の石尾根上にある点はややマイナスながら、石尾根を上り下りするハイカーはあっても、昼頃に三ノ木戸山あたりを彷徨くような輩は少ないだろうとの読みも働いた。結果的に、山中で出会ったのは単独行1名、トレランのグループ1つと、法面工事現場での警備員1名だけで、ほぼ読み通り。
三ノ木戸山は縦走路から僅かに外れているだけなのに、果たしてひっそりと静かなる山だった(山行記録はこちら)。昼寝でもするのに良さそうである。このコースを歩いたことも、鷹ノ巣避難小屋に泊まって以来16年ぶり(その時は逆コース)、唯々懐かしい。
時間が早かったので、もうちょっと石尾根を登ってから引き返す。防火帯は解放感が気持ちイイ。帰路は十二天尾根を林道まで下りたら、あとは不老林道を辿るだけ。法面工事現場に戻り、急階段を下りて日原街道に出れば、いつもの日帰り入浴「玉翠荘」には14時過ぎに到着。
若旦那に訊けば、2週間前から再開したとのこと。入浴料はタオル付800円になっていた。男風呂は先客1名、あとから2名組。脱衣所で、これから風呂に入るのであれば洗い流せば済む感じだが、風呂から上がって着替えている際に「密」になるのはやや気がかりだ。

01 石尾根の登山口がここ。

03 奥多摩駅前のシンボル、愛宕山。

05 振り返るとゴンザス尾根。

08 羽黒三田神社。

20 ここにも神社。

24 癒しの緑。

30 本来の道は抉られて赤土が露出しているので迂回。

34 三ノ木戸山はここを左に上がる。

35 三ノ木戸山に到着。

39 まだ時間が早いのでもうちょっと先へ行ってみる。

41 気持ちが良いところ。

43 左端に踏み跡。

55 大岳山に向かって下る。

64 この辺りがちょっと急降下。

今宵の宿は「横手館」。伊香保温泉には、社員旅行(今は死語か)も含め何度か泊りに来ているが、その度に気になっていた宿が「横手館」である。何が気になると云えば、この建物の佇まい。大正九年築というからもう一世紀。総桧造り三階建て(一部四階建て)ということも勿論だが、白壁に白木という外観の旅館は余り他に例を見ない。昼間よりも夜間照明で浮かび上がる様が素敵で、それこそインスタ映えする。
チェックインして通された部屋は3階。案内してくれた仲居さんは老舗旅館らしさは無く、ごく普通の田舎のオバサンっぽくて和む。さっそく風呂へ行く。ここには露天風呂は無いが、内湯は十分な大きさがあって寛げる。風呂場も廊下も、若者客が結構多い。昨今は海外旅行が当たり前だと思っていたが、やはり学生の卒業旅行でここに泊まっているのだろうか。新型コロナのせいばかりとは云えまい。学生の甲高い声は、老舗木造温泉旅館にはちょっと似合わない感じ。この宿の良さ、分かるかね、君たち。
風呂上りにビールを呑みながらぼーっとしていると、そのうち夕食。お品書きを見るとこんなにあって喰い切れるかしらん、と不安になるがボリュームはそれ程ではないのか、最後の水菓子まできれいに喰い切った(しかしご飯には手が届かず、長芋の煮物はカミさん任せ)。
ちょっと食休みしたあと、下駄を履いて外へ出てみる。期待通りに建物がライトアップされていて、暫し見惚れる。暦の上では春とはいえ、流石に夜は冷える。じっとしていると凍えて来るので、撮るだけ撮ったらさっさと部屋に戻った。
しかしこの宿は(この東棟だけか?)眺めが悪いのが玉に瑕。目の前は、ほぼ廃墟になったような旅館(実はまだ営業中の、あの「金大夫」だ)の上から、僅かに遠くの山の頭が覗かせるのみなのだ。

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「上杉伯爵邸」でランチを堪能して外へ出ると相変わらず空模様は怪しい。上杉神社に参拝したことが無い人と有る人が分かれ、米沢市上杉博物館で待ち合わせ。既に神社は見ている小生は、何もしないと時間を持て余すので、博物館へ入ってみた(入館料は620円だったか?)。
米沢藩の歴史などが懇切丁寧に紹介されている。ここの設備は随分立派で、金が掛かっているように見受けられる。能舞台も展示(?)されているが、その舞台は何故か水平移動出来るようになっている(移動先には観客席があるらしい)。
外へ出てみると冷たい風が吹いていて、しかも氷雨が落ちてきたのでまた館内に戻ってタクシー待ち。やがてやってきたタクシー2台に分乗して白布温泉へ。向かった先はやはり3年前と同じ「中屋別館不動閣」だ(後で聞くと、宿で送迎してくれたらしい)。玄関脇には、客(幹事)の名前が書かれた札がずらり。巷にCOVID-19が増えてきた割に、意外に予約が入っている。
男子3人が案内された先は奇しくも(っていうか、同じプランなので必然的にそうなるのかも)3年前と同じ、オリンピック風呂の上の部屋だった。ここの座布団は、相撲力士用かと思うくらいデカくて分厚い。荷物を整理したら早速、風呂だ。露天風呂に行ってみると、温好きの小生にとっても随分と温い。さすがに温まらないので、オリンピック風呂へ入り直す。脱衣所と風呂場を仕切る自動ドアは、3年前と同様に(湯気のせい?)で誤作動を起こす。頻繁に壊れるのか、3年前から直していないのかは分からない。
風呂上りに部屋に戻ってビールを楽しんだ後はもう夕食。場所は、前回は他の客を交えた大広間だったが、今日は我々だけの個室だった(朝食も同じ)。これも新型コロナ対策だろうか。

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今年の年越しの宿と決めたのは、檜原村のどん詰まり、数馬にある「兜家」。武蔵五日市から乗ったバスは、我々を含めて4人。他の2人は一見、若者カップルのようだが、女性はどうも日本人ではなさそうだし、男子はなんとなく連れてきただけのような態度。こんな大晦日の山の中で、不思議な組み合わせに見える(勝手な妄想です)。彼らは途中で降りていった。何処へ行くのだろう。どうでもいいけど。
終点の数馬バス停から宿までは暫し上り坂があって、歩いて15分ぐらいかかる。途中には22品膳で有名な「三頭山荘」があるが、人影は全くないので果たして営業しているのかどうかと訝しい感じ。やがて目印の茅葺が見えてくる。
茅葺屋根の宿という触れ込みの兜家旅館、しかし泊まった部屋は新館なので、和モダン。茅葺屋根の建物に泊まれるのかと期待していたのでちょっと残念。でも部屋に囲炉裏が切ってあるのでまあ良い感じ。部屋にテレビが無いのは、先の「星のや」もそうだったし、同じく大晦日の晩でいえば箱根の「俵石閣」に泊まって以来だ。
訊けば大部屋に大スクリーンのテレビがあるというので、夕食の後、生ビールを持って行ってみると、誰も居なかった。他の泊り客の皆さん、紅白歌合戦を見たいとは思わない様子だ。それともここに来る輩は抑々テレビが無いことを求めているのか。分かっちゃいないのは我々だけかも知れない。カミさんはおしまいまで見たようだが、小生は10時前に就寝。
夕食は(朝食も)可もなく不可もないが、宿の雰囲気は佳し。何となく、ハードウェア(設備、料理)はちゃんと揃っているのに、ソフトウェア(ホスピタリティ)がそれに追いついていないという感じがする。ということでやや残念。ついでに云えば、トイレにビール瓶の装飾(というか、オブジェ?)はいらないと思う。

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今日は久しぶりに秩父の山に登ることにした。個人的には、秩父界隈は里山的な低山を除きほぼ登り尽くした感があるので、降雪時を除きなかなかこちらに足を向ける気にならないが、今回は未だ訪れたことが無い城峯公園の冬桜を愛でてみようかと思い付き、その行き掛けの駄賃に城峯山をチョイスした(そんなことを書くと、平将門の怨霊の怒りに触れるか?)。
城峯山は実に13年ぶり(そのときの山行記録はこちら)。その時は皆野から登って皆野に戻ったので、神流川(神川町)側へ下るのは今回初めて。ガイドブックだけでなくネットで検索しても殆ど見かけないコースだし、先日の台風15号、19号でどうなっているのかやや案じたが、行ってみれば影響は特にみられず。
良い天気にもかかわらず、城峯山山頂には何人かのハイカーがいたものの、その前後は全く我々だけの世界、特に城峯山と城峯公園の間は誰にも遭わず仕舞。城峯神社(秩父側)の紅葉がちょうど見頃だった(今回の山行記録はこちら)。
城峯山から先、問題なく城峯公園に到着すると、そこはかなりの賑わい。駐車場に入れない車の列が、「冬桜の宿神泉」の前を越えて、坂の下の方まで続いている(どこまでなのかは確認できず)。山の上なので、駐車場のキャパは少ないのだろう、マイカー観光の泣き所。我々は山から下りてきたので渋滞とは無縁の世界、ちょっといい気分。
城峯公園の冬桜もまさに見頃。紅葉と桜のコラボを堪能したら、汗を流しに「冬桜の宿神泉」まで渋滞の列に沿って移動する。宿の前には仲居さんがいて何しているのだろうと思ったら、泊まりもしないのに車を駐車しようする輩が現れないよう、目を光らせているだと。渋滞で大変なのは、マイカー観光客だけでなく、宿の仲居さんもそうだった。

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ウェスパ椿山駅から、無料送迎シャトルバスに揺られること10分足らずで「黄金崎不老不死温泉」に到着。名前からして最果ての地、黄泉の国の入口のような場所を想像するが、デーンと立派な鉄筋コンクリート造の温泉ホテルが建っていた。鄙びた旅館をイメージしていたが全然違って近代的だ。
しかし周りは本当に何も無いところで、人家どころか田圃や畑も無い、あるのは荒れ地と日本海だけ。つい吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」を思い出すが、それ以前に本当に何も無い。よくぞこんな場所に温泉を見つけてホテルを建てたものだと感心する。
勿論宿泊客は我々だけではない、送迎バスがいっぱいになるほどの客だ(といっても送迎バスはこの時間帯だけだ)。客層はだいたい我々から上、若者もいないわけではないがかなり少ない。
チェックインを済ませ、部屋を確認したら早速風呂だ。まだ暗くなるまで少々時間があるので、噂の露天風呂へ行こう。建物を出ると、吹き曝しの木道を100mぐらい進む先に露天風呂がある。11月でもだいぶ寒い思いをするので、真冬だったらここまで来るのはさぞかし難儀だろう。
本当に波打ち際なので、波の音が煩い。優雅に湯船に浸かるというイメージからはかなり遠いが、確かに野趣溢れる露天風呂であることに間違いはない。お湯は伊香保温泉の如く赤茶色で、ややぬるい。大して温まらないうちに、意を決して湯舟を出て、さっさと建物へ逃げ込む。
夕食は大食堂へ集合。食事の量はなんとか食べ切れる程度(除、ごはん)で、我々にはこれで十分。腹を空かしていたら丁度良かったかも知れない。
夕食後は、エントランスホールで津軽三味線の生演奏を鑑賞できるとのことでいってみる。大入満員。津軽三味線については全く門外漢だが、演者の技量は大したものだと感じ入った。

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朝7時過ぎに苗場山山頂ヒュッテを出て、広々として気持ちが良い湿原をしばし逍遥してから、またテーブルマウンテンの端から急降下。このちゃんはやけに慎重に下るが、一度手を突いて骨折している過去があるのでさもありなん。だいいち、ズルッと滑って手を突いたら骨折する恐れが有るとなると、滑っても手を突けば済むと思っている小生だったら、ここに限らずそもそも山径なんて(っていうか、たとえ木道だってつるっと滑ることがあるし)恐ろしくって歩けない。
滑ったら、手が突けなけりゃゴロンと転がってしまう方がいいか(柔道の受身が役に立つかな)。ここだったら転がっても何処かで引っ掛かって止まるだろうが、勿論そうはいかない場所もあるだろうし・・・。
などと考えながら下っていくうちに、大きな沢に出た。「山口館」の前を流れる清津川だろう。橋を渡って川原を進むと、建物が現れた。これが待ちに待った「山口館」、もう40年近く恋焦がれてきた宿だ。
午前中に着いてしまったが、それもまた一興。入口の前に冷水に浸かったビールが目に入り、さっそくいただく。部屋に案内してもらったら、さっそく風呂へ浸かりに行く。誰もいないだろうと思ったら、意外にも直ぐ後から数人がやってきた。どうやら日帰り温泉へ入りにやってきたらしい。夕食時に出会った温泉女子3人組もそうだったが、ここの湯が好きで往復5時間を掛けて何度も入りに来る人は結構いるのだと知る。確かにここの露天風呂は唯一無二、よくぞこんなところに温泉を見つけたものだ。
さっぱりしたら、昼寝をしたり本を読んだりして静かな午後を過ごす。昨日の苗場山頂ヒュッテといい、二日続けてこんなにのんびり、贅沢な時間を過ごしたのは、守門岳へ登るため入広瀬で泊まって以来だろう。
今年初めて舞茸が採れたとのことで、夕食で天ぷらにして美味しくいただいた翌朝のこと。昨年、跡取りを亡くされたため、やむなくこの宿を引継ぎ先を探していると仰っていたこの宿の主に、思いもかけず秘蔵?の「舞茸ノート」を見せて貰った。舞茸を(数年後のサイクルで)収穫できる場所というのは決まっている、つまり菌床は基本的に動かないのだと知って吃驚。ここの温泉もそうだが、このノートも貴重な宝物といっていい。

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IMG_3106_お疲れ様、乾杯!

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IMG_3112_青湯 奥の野天風呂です

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せっかく「日原鍾乳洞売店」でビールを呑んだけれど、東日原バス停までの道のりがそれなりにあるので、またひと汗かく。たとえ缶ビール1本でも、確実に足が重くなっているからなおさらだ。さぞかし日原鍾乳洞の中は涼しいだろうなと想像してみるが、それで汗が引くことはない。
やっとこ東日原に着くと、2台のバスが待っていた。でも客はせいぜい座席半分が埋まるぐらいか。まだ発車まで時間があるが、ここでビールが呑める訳でもなし、さっさとバスに乗り込み、エアコンの吹き出し口を自分に向け、漸くひと心地つく。やっぱり、こんな季節に奥多摩へ来るのは間違いかと少々後悔。途中のバス停からは、殆ど客は乗って来なかった。
いつも思うが、川乗橋から川苔山を目指すハイカーは多いが、川乗橋をゴールにするハイカーが殆ど居ないのは何故だろう。今日も朝のバスでは乗客の半分が川乗橋BSで降りたが、復路のバスで乗ってきたハイカーはゼロ。ガイドブックに書かれているモデルコースがそうなっているのか。謎だ。個人的には、川乗橋に缶ビールの自動販売機が無いことが、ここをゴールとするには気が乗らない一因だけれど、まさか皆さんもそうなのか。
奥多摩駅に着いてみると、何やら広場が賑やか、看板に「オクタマーフェスト(奥多摩クラフトビールフェスティバル)」とある。もちろん興味津々。しかしともかく汗を流してさっぱりしたい。今日は独りなので何処でもいいが、芋を洗うような「もえぎの湯」には行く気が起こらない。結局やっぱり入り慣れた「玉翠荘」に足が向いた。
いつものようにフロントで宿の主に750円を支払ったら、リュックサックを縁台の上に置いて男湯がある地下1階へ。先客は若者お二人だけだったが、ほぼ入れ替わりのタイミングだったので、あとは一人だけで湯船に浸かりさっぱりした。さて次は「オクタマーフェスト」を覗いてみることにしよう。

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「剣御前小舎」に泊まった翌朝のこと。相変わらず外は暴風雨のようで、小舎をミシミシ、ガタガタ揺らしている。朝食中でも状況は変わらない。たとえこのまま室堂へ下るにしても、こんな天候で外に出るのは気乗りがしない。それは我々以外の方々(皆さんも元々、剣岳狙いだった)も同様のようで、8時過ぎまで皆、談話室でうだうだしていた。
そのうち、関西からやってきたというパーティーはそのまま室堂へ下りると云って出て行った。もうひとつのパーティーは、奥大日岳方面へ向かうという。外に出て様子を見てみると、雲の動きは速いし気温も低いが雨は止んだようだ。
この様子であれば別山ぐらいだったら往復できそうだと、我々も支度をして出かけてみる。ところが歩いているうちにみるみる天候が回復し出し、別山に着く頃には剣岳だけでなく後立山連峰も見えてきた。だったらもうちょっと行ってみようと、結局、立山・雄山まで登ってしまった。
朝までの天気から云えば仕方がないにせよ、「剣御前小舎」から真っ直ぐ帰ってしまった関西パーティーは今頃悔しい思いをしているだろう。気の毒だったが、結果的には文字通り劇的に天気が回復して、雄山を下る頃には晴れ間が広がり、「室堂小舎」へ下る頃はほぼ快晴になった。我々はラッキーだった。
「室堂小舎」からはピクニック気分、晴れた室堂平は天上の楽園だ。そして4年ぶり(その時のレポはこちら)に「みくりが池温泉」に到着。チェックインは後回しにして、さっそくテラスのベンチに座り、生ビールで乾杯。4年前に比べればだいぶ気温は低いが、ひと仕事(?)終えてテラスで呑むビールはなんたってサイコーだ。

047 参拝。

048 剱岳が姿を現した。

053 一番奥が白馬岳。

056 剱岳を入れて記念撮影。

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060 爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳。

070 次は富士ノ折立。

074 富士ノ折立と大汝山の鞍部に出た。

077 大汝休憩所でひと休み。

079 大汝山に到着。

084 槍ヶ岳も見えた。

088 それでもう一回。

096 社務所に到着。

103 もう一枚。

111 向かいの山は龍王岳、下は一の越山荘。

114 ここから先は遊歩道。

119 ここは撮影ポイント。

124 立山が眩しい。

127 立山をバックに。

134 ここは絶好の撮影ポイント。

135 待ちかねたこの一杯。

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136 夕食もまた一杯。

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142 みくりが池温泉、また来る日まで。

正直云えばつい最近まで、上高地・明神で泊まれる宿は「明神館」と「嘉門次小屋」の2軒しか無いと思っていた。「明神館」はメインストリートに面しているので、それこそ猿でも知っているし、「嘉門次小屋」は上高地で一番古い由緒ある山小屋なので、山ヤで知らなければもぐりだろう。
もう一つの宿、「山のひだや」の存在を知ったのは、冬でも営業している宿がある、という噂を(タクシーの運転手から)聞いたからだ。上高地をスノーシューイングする輩には常識なのかも知れない。が、それでも極寒の冬に本当にやっているのか俄かに信じ難く(だって冬は、釜トンネルから先は徒歩の世界)、いっそこの際、徳本峠越え&霞沢岳リベンジのついでに泊まって確かめてみようかと思い立った。
今日は結局、梅雨明け前にもかかわらず、合羽を出すことも無く済んだ。明神橋で梓川を渡ると、直ぐに「山のひだや」を示す道標があるのに気が付く。でも折角だからとちょっと遠回りして「嘉門次小屋」を覗いてみる。昔乍らの囲炉裏がある小屋のままかと思っていたら、いつの間にか葦簀屋根の食事処なんて出来ていて、ちょっと世間ずれした感じ。
さらに進んだ穂高神社奥宮の直ぐ脇に、板壁の古風な建物が見えた。ここが「山のひだや」。ご主人と思しき人が出迎え、フロントでは女将が受付をしてくれる。やけに人懐っこい女将は、野鳥好きなご様子で話し始めると止まらなくなる。訊いているうちに、やっぱりここで越冬するのだと仰る。凄すぎる。
部屋に案内されたら、さっそく汗を流そう。明神で風呂に入れるなんて極楽だ。さっぱりしたら、食堂に寄ってビールをもらい、部屋呑み。窓の外を眺めると、綿のようなドロヤナギの種がふわふわと飛んでいる。
夕食時になったらまた食堂へ集まる。宿泊客は我々以外に一組だけ。まだシーズンではないせいだろう。やはり上高地に来るのは、梅雨の頃が狙い目なのだ。イワナの塩焼きと様々な野菜天ぷらを美味しくいただいた。至福の時間。この次にここへ来るのは、やはり厳冬期にしようか。

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