山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

秩父鉄道沿線

今回は、秩父三峰神社の初詣と「久呂無木」の蕎麦が目的。一応、山の会としての矜持もあるので、バスは終点の三峰神社まで乗らず、麓から裏参道を辿り、奥宮がある妙法ヶ岳まで行くつもり。
裏参道の登山口は、岡本BSが最寄りなのだが、何故か乗ったバスが停まらない。その時初めて、三峰神社行きのバスは全て急行で、岡本BSは通過することに気が付いた。仕方なく、大滝温泉遊湯館前BSから戻る。いつ頃に降った雪なのか判らないが、脇の歩道部分には意外に雪が残っている。
裏参道に入ると、それほど雪は無いものの、無雪期よりはそれなりに時間がかかる。三峰神社までやってくると気温はぐっと下がり、積雪量もだいぶ増え、足首が埋まる程度の深さ。途中、ストックやアイゼン、チェーンスパイクも無しに奥宮まで来た若者カップルがいた。意外に、人間は簡単に滑落しないものだ、と変に感心してしまうが、偶々、運が良かっただけだろう。ラブラブなので気が付かないのだろうが。あれでもし、どちらかが滑落したら、マスコミが挙って彼らの準備不足を叩くのは間違いない。
とりあえず奥宮がある妙法ヶ岳の登頂は果たしたが(山の記録はこちら)、帰りのバスの時刻が迫ってきているため、風呂は諦めるしかない。それでも、ビールで喉を潤すぐらいの時間はあるので、大鳥居の目の前にある「大島屋」に入ることにした。この時間だと食事は出来ないようだが、我々には関係ない。中は暖かく、ビールを呷るには申し分ない。
こんなに寒空にもかかわらず、結構な参拝者がいて、ここ「大島屋」もそこそこ埋まっているし、しかも奥の大広間には団体客が来ている様子。これも信仰の力か。ここに三峰神社がある限り、ここ「大島屋」は営業し続けるに違いない。

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目当てにしていた「わへいそば」の蕎麦が売り切れてしまい、打ちひしがれた気分でとぼとぼ駅へ向かって歩いていた時、のんちゃんが目聡く蕎麦屋の看板を見つけた。恐る恐る建物に入ってみると、そこは「秩父ふるさと館」で、その二階が「そばの杜」という蕎麦屋。有り難いことに営業中だった。
二階へ上がると、先客は三組ほどで、我々は格子窓の傍に席を確保。さっそく、既に秩父駅へ向かって移動中の別動隊(Woodyさんと和尚)へ、店が見つかった旨、伝え、到着を待つ。格子窓越しに外を見ると、秩父神社が目の前だ。さぞや、先週の秩父夜祭の時は良い眺めだっただろう。花番さんに訊くと、この店は夜は開いておらず、昼間はバスツアー客の予約が入るので、一般の人の予約は難しいとのこと。そりゃ、残念だ。
Woodyさん達の到着を待ち切れずに、ビールで乾杯。白久駅の「喜久屋」でふられ、「トラゲット」でもふられ、更に「わへいそば」でもふられ、ここ「そばの杜」で漸く溜飲を下げることができた。今日のビール(大瓶580円税込、以下同様)の美味さは、格別なものがある。
つまみは、出汁巻き卵(値段失念)、舞茸天ぷら(同前)、野菜天ぷら(同前)、そばがき(同前)、みそぽてと(450円)をいただいた。天ぷらはサクッと揚がっていて美味い。そばがきさえあれば酒が呑める、という人もいるらしいが、小生はまだその域には達していない。Woodyさんと和尚は、意外にも、秩父名物「みそぽてと」を喰ったことが無かったとのこと。
日本酒も入って、いい気分になっていたらいつの間にか、閉店時間(16時)を過ぎて、我々以外誰もいなくなっていた。なかなか居心地が良い。花番さんの接客もなかなかである。
その花番さんに、我々が「たから湯」に入ってきたと伝えると、仕事が終わった後、「たから湯」でひと風呂浴びて、そのすぐ前にある居酒屋「鳥銀」で一杯やるのが好きだ、と云っていた。今度、機会があれば行ってみたい。でもその前に「わへいそば」をリベンジしなくてはならない。秩父は、行く度に課題が増える、奥が深い街である。

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「たから湯」へ入る前、先に書いた通り、手前にあったカフェ「トラゲット」を、待ち合わせ場所に決めていたので、風呂上がりに直行。ふと、見ると、「CLOSED」の札が出ていた。「食べログ」サイトにも「ティータイム14:00~17:00」となっているのに、15時前に行ったら「CLOSED」。たしか、「たから湯」へ行く前、30分ぐらい前に通り過ぎたときには「CLOSED」の札は出ていなかった筈。店の主は、今日は中休みをとりたい気分だったのに、我々が後でやって来そうな雰囲気を察知して、慌てて「CLOSED」の札を出したのかも・・・。
何れにしても裏切られてしまったので、急いで他を探すが、とにかく開いている店が無い。なんと「ねこあそび!」も閉まっている。残念ながら、またしても喉の渇きは癒せそうにない。今日は、そういう巡り合わせの日なのだろう。のんちゃん、なおちゃんと合流した後、まだ銭湯にいる和尚、Woodyさんへ電話して、「わへいそば」へ直行することにした。
暫く住宅街を抜けて行くと、やがて民芸調の建物が見えて来る。どうやらここが「わへいそば」のようだ。これでようやくひと息つけると思いつつ、扉に手をやろうとすると、なんと「お蕎麦が売り切れました」と書かれた札を発見。その文言の後に、かっこ付きで「うどんはあります」とある。
折角、新蕎麦を手繰りに来て、うどんを喰う気にもならない。今日はとことん、ついていない。蕎麦屋は、売り切れ仕舞という店はよく目にするが、営業時間は18時までなのに15時で終わりとは・・・。ちょっと甘く見ていたようで、反省。次回は、必ず前もって予約を入れてリベンジしたい。

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毎度、秩父に来て銭湯に入る場合は、御花畑駅に近い「クラブ湯」ばかり入っていたが、今日は秩父にもう一つある「たから湯」に入ってみようと算段。行ってみたかった蕎麦屋が、「たから湯」から行った方が都合が良かったのがその理由。白久駅から秩父鉄道に乗って、御花畑駅を素通りして秩父駅まで行ったのは、初めてのような気がする。
秩父駅から「たから湯」までは歩いて5分ほど。途中、映画館の建物の中に、「イタリアンダイニング&カフェ トラゲット」なる店があり(ネット情報では中休み無し)、開いているようだったので、風呂上がりの待ち合わせはここにしようと申し合わせ。ちょっと先に「ねこあそび!」なる猫カフェがあったのだが、ワンドリンク付き1,000円はやや高い感じだし、猫と遊んでいる時間も無いのでやめた。
「たから湯」へ行ってみると、外観は「クラブ湯」に負けず劣らず超レトロ。中も、入口から脱衣所、風呂場が直線的に並んでいるのは、全く昔風で、これも「クラブ湯」とよく似ている。何故か衣類篭も、「クラブ湯」と全く同じものを使っている。番台には、大女将と思しきおばあちゃんがちんまり座っていた。客はほぼ、地元のご長老達のようである。風呂場の背景画は、駿河湾から望む富士山である(女湯は何でしょうか?)。湯は少々熱いが、耐えられない程ではない。
秩父に、このようなレトロ銭湯が二つも残っているのは、或る意味、奇跡のようだが、秩父の街自体、レトロな建物が結構あるので、このレトロ感は街にすっかり溶け込んでおり、あまり目立つことはない。
とあるHPを覗いてみると、埼玉県には2016年8月現在でいわゆる銭湯(除、スーパー銭湯及び日帰り温泉)は56軒あるそうだが、昔からの風情をそのまま保っている銭湯は、そう多くは無いはずだ。そういう意味では、この建物やボイラーの耐用年数が限界に達したとき、あるいは番台にいるおばあちゃんの身体が動かなくなったときが、このような銭湯の大きな節目になるのだろう。

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今回の山は、小鹿野町から秩父市にかけて連なる低山。標高は、一番高いところでも644m。長若山荘を起点に、釜ノ沢五峰から品刕(しなしゅう)までトレースしてみた(山の記録はこちら)。所々、眺めが良いところもあり、なかなか変化があって面白かったが、全般的には意外にグレードが高いバリエーション。確かに、GPSや地図読みが出来ないと、道迷いの恐れがある。
最後に、白久駅へ下るところで踏み跡をロストしたが、適当に下ったら、ほぼ無駄なく下界へ下りることができた。下りたところがいきなり民家の庭先だったので、そそくさと通過し事無きを得たが、番犬でもいたら間違いなく吠え捲くられたところだった。
車道に出たら、白久駅は橋を渡った先にある。今日は多少風があったものの、気持ちよく晴れていたおかげで、典型的な日溜まりハイク。多少汗もかいたのでやはりビールが呑みたい感じ。白久の駅前には「喜久屋」という店(食料品販売所のような酒屋の様な)が目当て。
勇んで行ってみると、店にはシャッターが下りていた。・・・がっくり。廃業してしまったのか、それとも臨時休業なのか(少なくとも、このときは店が開いていてビールを呑めたので、土曜日は定休日ではないはず)判らないが、少なくとも、今日のビールは望みの綱が断たれてしまった。白久駅界隈には、他にビールを呑めるところは、ネットで調べた範囲では無い。
お年寄りが店を切り盛りしていて、身体が動かなくなったので廃業、という話はときどき聞くが、ここもそうなのか。臨時休業だったらまだしも、完全に廃業したのであれば、もう山から下りて白久駅にやってくることは無いかも知れない。白久駅のホームで、下りて来た山を見上げながら、悄然と電車を待つしかなかった。

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或るとき、この頃秩父で蕎麦を手繰っていないなと、秩父関連のHPをつらつら眺めているうちに、ふと「こいけ」の文字が目に入り、9月末で閉店してしまったことを知った。なんと・・・、まことに残念。そのうちにまた行こう、行こうと思っていたが、もう、あとの祭り。結局、入ったのは一度きりとなってしまった。
「こいけ」は、云わずと知れた、秩父の名蕎麦店。もうひと昔前になってしまった2005年の暮れに、武甲山を登った後、「こいけ」に入ったことがある(その時の山レポはこちら)。当時は隊長がスイス駐在の頃で、この山行もタマちゃんと二人きり。当日は丁度、秩父夜祭の大祭当日だったせいか、武甲山山頂にいると時折、下の方からお囃子の音が聞こえて来たのを覚えている。
山から下りて、浦山口駅から秩父鉄道に乗ろうとすると、この鉄道では今まで見たことが無い程、人が乗っているのにびっくり。皆、祭りを見に行くのだろうが、電車が混んでいることもさることながら、浦山口から奥に、こんなに人が住んでいるんだ(失礼!)と驚いた記憶がある。
御花畑駅を出ると、道路脇には既にカメラの放列がスタンバイ。まだ祭りが始まるまで3時間もあるのにこの状態。腹ごしらえしたあとで、せっかくだから祭りでも眺めようか、なんて軽い気持ちでいたのが、あっさり粉砕された。この調子だと「こいけ」も、もの凄い状態ではないかと危惧されたが、とにかく恐る恐る行ってみた。
西武秩父駅からは10分足らず。うっかり通り過ぎてしまいそうなほど、目立たない店だが、古民家の前に人が並んでいるのでそれと判る。数えてみると、10名程(どうやら4組)が並んでいる状態。これならば、せっかくなので待つか、と覚悟を決めて後ろに並んだ。
待つこと、1時間余り。蕎麦屋でそんなに待ったのは、後にも先にもこの時だけ。やがて通された店内は、飾りが殆ど排除され、質素な古民家的内装。この雰囲気だけでちょっとグッとくる。テーブル席と小上がりがあったが、我々は二人掛けのテーブルへ。先ずビールで喉を潤した後、日本酒と焼き味噌と天ぷらを注文した。
ここの焼き味噌は甘からず、辛からずで丁度良い。日本酒と焼き味噌との相性が、これほどいいものかと大感激したが、ここの店主も、越生の「梅乃里」の店主と同様、足利一茶庵の創業者、片倉康雄氏(Woodyさんのお兄さん?と思う程良く似ている)に師事しただけあって、焼き味噌も良く似ている。
締めはせいろを注文。つゆは辛めの江戸前風。細打ちのせいろ蕎麦は、香りも佳し、コシも佳し、歯触り・喉越しも佳しの、云うこと無し。二人で感動していた。結局、それっきり。その後のあっと云う間の10年間、2回目の訪問をしないまま閉店となってしまった。実に心残りである。やはり、行けるときに行っておかないと後悔する、とつくづく思った。

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埼玉新聞電子版記事: こちら 

今シーズンは、例年になく鮎を喰う機会が多かった(先日の「那須観光やな」は想定外)が、締めくくりの鮎は、寄居の「京亭」でいただくことになった。勿論、随分前から予約は入れておいた。家から電車を乗り継ぎ2時間掛かるが、それだけのことは十分ある。
建物はいわゆる数寄屋造り。大正から昭和にかけて活躍した作曲家、佐々紅華の別宅だったとのこと。その後、料理旅館を始めたようである。これまで3回ほど鮎を食べにやってきたが(前回の訪問はこちら)、何れも洋室だった。今回は、庭の正面に位置する和室。庭に出ないと荒川の川面は見えないが、対岸の鉢形城跡の、こんもりとした森が望める。今日は生憎の天気だが、むしろそのおかげで緑が瑞々しい。
先ずビール。料理の始めは鮎の甘露煮でスタート。上手に煮てあって、頭も骨もきれいに食べられる。その後、様々な仲居さんが代わる代わる、料理を出していく。結局5人、いただろうか。一番の年功者がここの大女将(ということは、佐々紅華の奥方か娘か)、次が若女将のようだが、他は良く判らない。もしかしたら全て親類かも知れぬ。客が来ている部屋は4つくらいしかなさそうだから、仲居が5人もいたら持て余しそう。ひょっとすると、料理人も女性なのか、などと想像してしまう。
最後に、大女将と思しき女性が、鉄鍋に入った鮎飯をもってくる。蓋を開けると、炊いたご飯の上に鮎が3尾。分葱と大葉が入った小皿。「入れない方がいいですか?」と訊かれるが、全部入れて下さいと答える。それにしても、やはり天然鮎の苦味は、養殖ものとはちょっと違う。それを最も顕著に感じるのは鮎飯だと思う。鮎飯はたっぷり出て来るので、とても2人では食べ切れない。残りは持ち帰らせてもらった。
大女将に訊いたところによると、ここで出される天然鮎は、予め契約した釣師(と云ってもプロという訳ではなさそうで、想像するに、仕事をリタイアした熟年が小遣い稼ぎでやっているようだ)から入手するとのことで、釣る川は荒川に限らないらしい。荒川が大水で濁ったときは、わざわざ富山とか岐阜の鮎も取って来たとか。
前回はひとり6.5尾を喰ったのだが、何故か今回は4.5尾(除、うるか)しか喰えなかった。天然鮎が手に入れにくくなっているせいかどうかは判らない。とは云え、十分堪能することが出来た。また来年も、来る機会が得られることを祈りたい。

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京亭のFB: こちら 

中双里BSから西武秩父駅行バスに乗り、大滝温泉まで移動。途中、川又BSに寄るが、地図を見る限り、随分と寄り道をすることになる。元々2つのバス路線が有ったのを、強引に1つにまとめたような運行パターンの様にも感じる。わざわざ寄るのだから、川又にはさぞや何か飲食店か酒屋でもありそうだが(勝手な妄想)、案の定というか、残念ながら何も無い。
ここは、かつて武州から甲州、信州方面へ通じる秩父往還(中山道と甲州街道の間道でもある)の拠点であり、近くに栃本宿と栃本関所があった。十文字峠越えや雁坂峠越えの起点として、登山者にはそれなりに価値はあるのだから、「山の駅」でもあったら最高だと思う。
川又BSに停車すると、荒川源流の沢でも登って来たのだろうか、70Lサイズの特大リュックサックにシュリンゲやらヘルメットやらをぶら下げて、若者集団がドヤドヤと乗り込んできて、車内はほぼ埋まった。
我々は大滝温泉遊湯館前BSで途中下車。11年ぶりの大滝温泉(隊長、グッチー師匠と入った前回はこちら)。ここは、お食事処や特産品販売センター、歴史民俗資料館からなる道の駅に、併設された形となっている。お食事処や特産品販売センターには観光客が集まっているようだが、遊湯館は意外に空いている。入浴料は700円だが、ロッカー代は別途100円かかる。
脱衣所から風呂場に向かうと、内湯と露天岩風呂がある。露天岩風呂と云っても、一方向だけが屋外に面しているだけなので、それほど開放感はない。内湯と露天岩風呂とは、ガラス窓があるかどうかだけの違いだ。どちらからも荒川の流れが目の前に見える。内湯だって十分、眺めが良い。湯は、弱アルカリ性(Ph8.4)なので、ぬるぬる感は殆ど無いが、柔らかな感触。
風呂上がりは、遊湯館内の食事処へ。ビールと共に、枝豆、タコ唐揚げ、ポテトフライを注文。ここは、つまみの数は少なめだ。別棟に「郷路館」という食事処があるので、致し方無いのかも知れない。それでも、空いていてのんびり寛げるので、何ら文句は無い。次のバスがやってくるまで暫し、まったりした。

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仙元尾根を下って浦山大日堂からタクシーに乗り、「クラブ湯」直行(山の記録はこちら)。今日は意外に涼しかったせいもあり、汗はそれ程かいていないが、それでもやはり、真っ先に行きたいもの。
入店は午後3時過ぎとなり、前回より遅かったせいか、意外に混んでいる。脱衣所に、これほど脱衣籠が拡げられているのを見るのは初めてだと思う。それも皆さん、地元の方々ばかりのようであり、我々だけが異邦人。
女将さんに、前回訊きそびれた、値下げの理由を訊いてみたら、「値下げじゃなくて、20円値上げしたの~」と仰る。でも張り紙にはたしかに「410円→430円」と書いてあり、その「430円」を横棒で消して「370円」と手書き修正されている。
相変わらず熱い湯船に浸かりながら、女将さんの言葉と張り紙の記述が両立するケースをつらつら考え、のぼせないうちに気が付いた。たしかに埼玉県共通の公衆浴場入浴料金は昨年、410円から430円へ20円値上げしたのだろう。でもここ「クラブ湯」は元々が410円ではなく、350円だった訳だ(前回来た時に、350円払ったかどうかは全く思い出せない)。
張り紙自体は、銭湯組合から配布されたものであるため、「410円→430円」と印刷されていた。それを流用した為に「430円→370円」のように勝手に思い込んでしまった訳である。でも何故、「クラブ湯」が埼玉県の統一料金よりも安くしていた、安くできたのかが疑問として残る。
あとで調べてみると、県のHPには「一般公衆浴場(銭湯)の入浴料金は、物価統制令に基づく統制料金であり、県公衆浴場業生活衛生同業組合からの料金改定申請を受け、知事が県公衆浴場入浴料金審議会に諮問し、その答申を踏まえて知事が統制額(上限額)を決定します。」とある。つまり「上限額」であって、これを下回るのは構わないということか。ふ~んまあ納得。それにしても、「クラブ湯」は統制料金より60円も安い入浴料でやっていることになる。見掛けに寄らず(失礼!)経営が上手という訳だろうか。 

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前回、暖簾が出ていたにも拘らず、鍵がかかっていて入れなかったため(生憎、偶々店主は買い物に出かけていたようだ)、今回は事前に電話を入れて用意周到に準備。「クラブ湯」で汗を流した後、勇んでやってきた。でも恐る恐る引き戸を開けてみると、果たして動いた。ありがたや、やっと入店が叶った。外観だけでなく、内装も力一杯レトロである。店主は暇を持て余していたらしく、新聞を読んでいた。さっそく「いらっしゃい」と、お茶を淹れてくれた。折角だけど山帰り風呂上がりなので、当然ビールである。一呼吸置いて、おもむろにビールと餃子を注文する。ビールにはかっぱえびせんが付いてくる。餃子は薄皮で素朴な味わい。やがて湯上り女子デュオも到着。ニラレバ炒めと八宝菜も追加注文。店の雰囲気もさることながら、どちらの料理もノスタルジックである。ビールの後は酒、秩父錦の小瓶で、ニラレバ炒めと八宝菜を肴にちびちびやる。
料理を作り終えて暇になった店主から昔話を聞く。この店の「パリー」という名前は先代が付けたとのことだが、由来までは聞いていなかったらしい。昭和2年の創業当初は、女給を置いた、いわゆるカフェーだったとのこと。かなり賑わっていたようだ。秩父に芸者が100人もいた時代のこと。そんな時代もあったわけだ。そんな当時の賑わいを支えていたのは、武甲山等で採れる石灰岩をベースにしたセメント産業だ。云うなれば、武甲山の現状の痛々しい姿は、かつての賑わいの代償でもあるし、もっと云えば、かつて海の底で形成されたサンゴ礁のお陰で、秩父にセメント産業が生まれたことにもなる。
そう云えば、タクシーの運転手から聞いたのだが、もう秩父には太平洋セメント(旧秩父セメント)の工場は閉鎖され、無くなったらしい。現在も武甲山から採掘している石灰岩は、熊谷にある工場に鉄道輸送しているだけになった。あとは横瀬に三菱マテリアルがあるだけ。秩父の一時代が終わり、また新たな歴史が始まっているのかも知れない。

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大ドッケ近くの福寿草の大群生を見に行ったあと(山の記録はこちら)、浦山の渓流荘前からタクシーで秩父市街の銭湯に直行。ここ「クラブ湯」は、御花畑駅(芝桜駅)に近いので、結構、何度も入らせて貰っている。秩父にはもうひとつ銭湯があるらしい。秩父の中心街にはレトロな店も多いが、この「クラブ湯」は昭和12年創業と云うから、比較的新顔の部類ではなかろうか。
男湯の入口をはいると右側に番台。番台には誰もおらず、「すみませ~ん」と呼びかけると、ご主人は女風呂側にいた。ふと貼紙をみると、430円が370円に料金値下げされていた。銭湯の料金が値下げされるなんて聞いたことが無い。なんでだろう。ともあれ、安いことには不満は無い。有難く入湯。まだ午後2時過ぎ、男湯の先客は二人だけ。湯船は2つに分かれていて、片側で3人くらいが精一杯の小さなものだが、そのように繁盛している状況に巡り会ったことは無い。ここは通常、比較的湯温が熱いが、今日は先客が温好きなのか、小生にとっても丁度良い湯加減になっていた。でも、だからと云って長湯はしない。さっさと洗って、ちょこっと浸かったらおしまい。
着替えとパッキングを済ませ、お世話様でした~、と出ようとすると、「お連れさんたちは未だ入ってますよ」と、女将さんに優しく声を掛けられる。予め、待ち合わせ場所は決めてありますので、と答え湯屋を後にした。
あとで気が付いたことだが、御花畑駅前の「はなゆう」という立ち食い蕎麦店の壁に、「クラブ湯」の広告が貼ってあった。積極的な営業活動をしているという感じでもないが、蕎麦屋にとっても、湯上りにこの店に戻ってビールを呑んで下さい、蕎麦も喰って下さいという効果を期待しているようにも見える。勿論、我々にとっては蕎麦屋と風呂屋の共存共栄は望むところなので、「はなゆう」の姿勢には好感がもてる。惜しいのは、蕎麦やうどん、みそポテトだけで、酒の肴が置いてないこと。そこんとこ、大事なので、宜しくお願いしたい。

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丸山鉱泉から乗ったタクシーの運転手に、このちゃんが行き先を告げる際「パリー食堂に行きたいのですが、わかりますか?どんな店?」などと訊くと、そりゃ知っているけどねえ、という訳知り顔で、複雑な苦笑いを漂わせつつ「・・・行けば判りますよ。」と仰る。まあ、云ってくれなくても、行かなくても、云いたいことはだいたい判るけどね。
ともあれタクシーで10分ほどで到着。外観は思った通り(と云うか、Webの写真で見た通り、タクシー運転手が含み笑いした通り)の超レトロ。鳥肌が立つ。何故この良さが判らないかな、運転手さんよ。
文化庁の登録有形文化財(登録名は「カフェ・パリー」)になっている。竣工は昭和2年とのこと。暖簾が出ている、やっていそうだ。このちゃんが開けようとすると、・・・・・・・・・動かない。何回やっても同じ。鍵がかかっているようだ。ふー、・・・・・・・・・残念。でもこのちゃんはそんなことでは諦めない。暖簾に電話番号が書いてあるのを見つけ、すぐさま電話をかける。なかなか繋らず。やがて、しばらくして繋がったようで、その話によれば、一人で切り盛りしているご主人が外出していたらしい。
まことに残念だがまた今度来よう。ふと周りを見渡すと、パリー食堂に負けず劣らずレトロな建物がある。目の前の建物は塗装こそ奇麗に塗り直したようだが、造りは相当レトロ。角の入口には「Cocktail Bar Snob」との看板がかかっている。まだ時間が早いせいか、閉まっているようだ(後で調べると建物は大正15年造、これも登録有形文化財、以前は、とある旅館の遊技場だったそうだ)。うーむ、ここにも入ってみたい。斜向かいの小池煙草屋も昭和モダン間違いなし、やはり閉まっているが現役のようだ。同じ通りを御花畑駅方面に少々進むと、右手に木造洋館、表札には片山醫院とある。このちゃんが、まるで富岡製糸場のようだ、と云う。同感。どうなっているの、この通り。
秩父の街の所々には、このようなノスタルジーが残っている。調べてみると市街には29の登録有形文化財があると云う。御花畑駅の駅舎もそのひとつ。こちらは大正6年竣工で、今も普通に現役である。全く以って、レトロ建築オタクならずとも、秩父には改めて感心してしまう。いつかは、街中に泊まるつもりで来て、パリー食堂で飯を喰って、Cocktail Bar Snobで酒を呑むしかない。それにしてもそれに見合う山が近所で見つかるかどうか、それだけが気掛かりである。

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