山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

釜飯

季節は移ろい、最早、初夏。今年は春が無かった。政府の緊急事態宣言が解除されたことを受けて、満を持して計画したウィズ新型コロナ時代の山行第1弾は、奥多摩の頭窓(ズマド)山と三ノ戸山。赤久奈尾根を辿って川苔山を目指すハイカーにとっては、何方も行き掛けの駄賃にもならないし巻き道もしっかりあるので、酔狂な輩でなければこれらの山頂を踏むようなことはしないだろう。
そんな忘れ去られた山を巡る、重箱の隅を穿るようなプランを立てたものの、時節柄そもそも赤久奈尾根を歩く者は少ないだろうし天気も天気なので、わざわざこんな不遇な山を選んで他のハイカーとの接触を避ける必要は無かったはず、ちょっとやりすぎたきらいはある。
ともあれ最高峰の三ノ戸山でも標高800mを僅かに超えるだけなので、コロナ自粛太り状態の我が身にとってリハビリとして丁度良い具合だ。生憎朝から本降りの雨にもかかわらず、ほぼ3か月ぶりの山行なので気分は上々。皆もそう思っていたようで、参加者10名の大パーティーとなった。
何の変哲もない尾根で眺めも無いが、登ること自体が楽しい。久しぶりに見る山の緑もやけに新鮮だ。首尾良く三ノ戸山を踏んだ後は、雨で足元が緩くなった枝尾根をほぼ滑りながら下れば、上手い具合に「釜めし なかい」のすぐ傍に出た。庭付き隠れ家風の古民家でいい雰囲気。中を覗くとなんと満席、順番待ち状態。山は少なかったが、車移動で外食する輩はそれなりにいるのだ。我々は皆、泥んこでずぶ濡れ状態なので、着替えをしながらのんびりと待つ。
やがて案内された席は、庭を眺められる離れのような部屋、なかなか乙だ。ここは以前入ったことがある「ちわき」の姉妹店だという。こちらの方が本家だろうか。建物自体は古びているがトイレだけは綺麗にリニューアルされている。
先ずは生ビール、メニューを眺めると鮎の塩焼きもある。さっそく注文。養殖ものだろうがとりあえず初物。頭からしっぽまでとても美味しくいただいた。そのあとは釜めしをちょっとだけ頂く。こちらもなかなかだ。しかし山からこの店へ直接下りるプランはたぶん、これが最初で最後、かなり残念である。

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1日目の夜から参加したこのちゃんが、まだ手首の骨折から完全に癒えていないにも拘らず、山のいで立ちで現れたので、折角だからと2日目はひとひねりして(っていうか普通の山道だとリスク有り過ぎるので)、足元確かな道乍ら非日常的なアプト道(遊歩道)を、「めがね橋」まで散策してみることにした。ちなみにアプト道は、国土地理院地形図には「めがね橋」以外にそれらしきものは見当たらない。そもそも、長野新幹線開業まで使われていた横川・軽井沢間の信越本線も、現在の地形図上は完全に抹消されている。
宿を出る際、我らが女子軍団が宿のご主人に、昨日のすき焼きで喰った白滝と下仁田ねぎはいったい何処から仕入れたのか、出来れば買って帰りたいと詰め寄った(否、強請った)ので、早速ひと肌脱いでくれたご主人が馴染みの八百屋に無理を云って、まだ午前8時前なのに店を開けて貰うことになり願ったり叶ったり。早速、皆が嬉々として白滝と下仁田ねぎに群がったのは云うまでもない。それにしても下仁田ねぎがひと把(十二、三本)で500円は安過ぎないか(家の近所のスーパーでは、1本300円は下らないはずだ)。
上信電鉄で高崎まで一旦戻り、今はほぼ盲腸になり果てた信越本線(の切れ端のような路線)に乗り換え、終点の横川駅で下車。「めがね橋」までは緩やかな登りで、途中にいくつかのトンネルを潜るものの、ごく普通の観光客でも歩行に問題は無い道程である。
行き着いた「めがね橋」は高さ31m、レンガ造りの立派なアーチ橋。文明開化の香りがぷんぷんする。新緑か紅葉の頃だったらさぞや見映え良かったことだろう。明治浪漫に触れた後は、旧宿場町の坂本宿を抜けてまた横川駅まで戻った。電車の時間を確認すれば、ちょっと間があるので何処かで時間調整したい。
都合よく在るのは「おぎのや」。釜飯で超有名なこの店は、ここ駅前店が本家本元。弁当屋だけど、店内でもちゃんと釜飯を喰うことが出来る。我々は喉が渇いただけなので、ビールを所望。店内に居る客で、釜飯を喰わないのは明らかに我々だけだ。
個人的に、昔から駅弁は寿司に限ると認識していた小生としては、釜飯弁当を喰った記憶はあまり無い。それでも、食べた後の素焼きの釜を、家でどう処分すべきか考えたことがあったような気がする。誰でも一度は考えることだろうと思う。

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