山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

インドネシア

3ヶ月ぶりにグマヤホテルに泊まることになった。前回は仕事だったが今回は完全プライベートなので自腹。スマランには、他にも気が利いたホテルはあるのかも知れないが、我々の仲間内ではこのホテルがリーズナブルでしかも設備が充実しているという点で人気が高い。
第一に、設備が新しい。部屋は無駄に広いし、TV画面も部屋の大きさに相応して十分過ぎるサイズ。当然ながら金庫もあるし、クロゼットもたっぷりな大きさ(定宿のホテル・ホリゾンには何れも無い)。1泊ではなんとも勿体無い。切り取って、プカロンガンのホテル・ホリゾンへ持ち帰りたい。日頃、ホテル・ホリゾンではシャワーしかないので、バスタブに浸かるのも楽しみのひとつ。
ここのトイレはウォシュレットが付いている。ホテル・ホリゾンのそれは、インドネシアで一般的なハンディータイプのウォシュレット。これって、使い方にコツが要る(この頃、だいぶ慣れてきて、周りを水浸しにせずに済むようになった)が、日本式ではそんな手間は要らない。
朝食は勿論ビュッフェタイプ、これはホテル・ホリゾンと同様だが、中身はだいぶ異なる。ホリゾンは基本的にローカル料理で、ウェスタンは卵焼きとソーセージ、トーストぐらいだが(日本食は基本的には無し)、グマヤはローカル、チャイニーズ、ウェスタン、ジャパニーズまで、夫々が充実している。とてもじゃないが、全部は味見出来ない。
ということで優れた点が多々あるにもかかわらずこれで1泊朝食付きが、日本円で約7,500円なのだからちょっと驚く。このホテルが東京にあったならば、どう考えても20,000円、いやいや30,000円は下らないはずである。偶にはこのようなホテルに泊って日頃の息抜きをしたくなる、皆の気持ちがとても良く判る。

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"A to Z"で腹具合はそれなりになったが、まだ夜はこれから。場所を変えてもうちょっと呑もうということになったので、再びタクシーに乗って今度は駅に近い街中へ下る。もう一軒も、同行者が良さそうだと狙いを付けていた"SPIEGEL Bar & Bistro"という店。
外観は洋館そのもの。中に入ってみると、2階建てながらやけに天井が高い。聞くところによると、ここはかつてオランダが統治していた頃の倉庫だったそうだ。ということは、その後占領した旧日本軍もこの建物を使ったことがあるのだろう。その割にはしっかりした建物である。
客はちらほら西欧系もいるが、基本はローカルの人間のようである。イスラム色が強いとは云え、さっきまでいた"A to Z"も、ここ"SPIEGEL Bar & Bistro"も、全くウェスタンである。この店がそのまま横浜の山下公園辺りにあったらさぞや流行るだろうと思う。
テーブルまで案内してくれた女性は、ヒジャブなど被っていない。テキパキとオーダーを聞いて給仕する様は小気味が良い。頼んだのは"RAWSON'S RETREAT"の白(記憶が怪しいがたぶん、IDR500,000(≒4,000円)ぐらい)とFried Snack Basket(IDR55,000≒440円)。周りを見渡すと、ワインを呑んでいる輩は流石に少なく、大抵はビールだ。中にはソフトドリンクのグループも結構いる。イスラム系だけど、この店に入ってみたいという者もいるのだろう。イスラム教は、聖と俗の境界は意外と曖昧なのかも知れない。
いい気持になったところで、ホテルへ歩いて帰ることにした。30分ぐらいかかったが、途中にはキリスト教会や中華街などがあって、イスラムとは違った建物があったりしてなかなか興味深い。有意義な一日だった。

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以前、ニューオーリンズへ一緒に行った輩と話しが盛り上がり、「今度の週末にスマランへ行こう」ということになった。もちろん別段、観光しようというつもりはお互いに無く、単に呑みに行こう、というもの。スマランは堂々とウィスキーやワインを呑める店がかなりあるという、日本やシンガポールでは当たり前の話が、プカロンガン暮らしの者にとってはかなり魅力的。そのためにはわざわざ一泊する必要があるが、そんなことは鬱屈した日々を送っている我々にとってさして厭う問題ではない。
土曜日、仕事をそこそこ済ませてから、タクシーに乗って約3時間の移動。仕事目的じゃないと、3時間は全く苦にならないから不思議だ。日が傾いた頃、市内のホテルに到着した後、シャワーを浴びてさっぱりしたら黄昏時の街へ。スマラン事情はあまり良く判らないが、洒落たダイニング・レストランの多くは高台の高級住宅街のなかにあるらしい。クアラルンプールでいえば、モント・キアラのようなところか。
同行者が探し出し、今回入った"AtoZ Bar Wine & Brasserie"もそんな店。駐車場には高級車がずらりと駐車している。同行者は気を利かせて予約まで入れてくれたが、入ってみた感じでは特に必要は無かったようだ。
照明はかなり抑え目なので、日本だったらホテルのバーのような雰囲気の店。さっそくビールで乾杯した後、店員にワインリストを所望。ざっと眺めてみると、日本のちょっと気取ったレストランで呑む値段と似たり寄ったりという感じ。インドネシア人にはさぞ高いだろうと思うけど、ここにやってくる者はかなり高所得者の筈なので、どうってことはないのだろう。
「ティエラ・デル・フエゴ・レゼルバ・カベルネ・ソーヴィニョン」というチリワインを頼んでみた。「ティエラ・デル・フエゴ」という名前を調べてみると、南米大陸最南端にある諸島の名前らしい。そんなところでブドウが育つのか。でも結構イケる。つまみには、いか、ソフトシェルクラブ、フランクフルトソーセージをチョイス。どれもちゃんとしたウェスタン風味付け。インドネシアにいても、たまにはこんな店でリフレッシュできるのは有難いことだ。さすが、大都市のスマランだ。来た甲斐があった。

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毎日毎日、ホテルと仕事場をタクシーで往復するだけの単調な日々が続く。夕食を摂ってからホテルのベッドで横になれば、いつのまにかストンと眠りに落ちてその日が終了。その日が充実していたかどうかには拠らず、一日はあっという間に終わってしまう。
尤も、それは日本にいても似たり寄ったり。唯一の違いは、日本にいれば楽しみは週末の山だが、インドネシアにいれば睡眠というところか。これじゃあ、身体が鈍るのは間違いないが、かといって暑い外を走る気は全く起こらず、浄水機能に信頼できないプールに浸かって泳ぐのはもっての外。而して、日本に帰るまで、せいぜい節酒節食に心掛けるのが、怠け者にとって唯一の対策となる。
久しぶりにタクシー同乗者がイギリス人で無く日本の若者二人となり、夕食を喰いに"COFFEE AND BEYOND"へ行こうということになった。若者の目当ては、仲間内ではプカロンガンで一番美味いと評判の、ビーフステーキである。
それほど牛肉に食指が動かないが折角の機会だからと、"Sambal Hejo Beef Lib"(IDR73,000≒584円)を注文。"Hejo"の意味は判らないが、"Sambal"はインドネシアの豆板醤のようなものだと知っている。従って、それなりにスパイシーな筈だ。
果たして出てきたのは一見、牛肉の赤ワイン煮込みのような姿。もちろん、赤ワインなど使うはずも無い。口に入れてみると、それほど辛くは無い。これならば全く問題ない範囲だ。しかし予想通り、リブ肉にしてはやけに筋っぽい。噛み切るには、顎の力を最大限発揮しなくてはならない。総じてインドネシア人は日本人よりも顎の力が強いのかも知れない。やっぱりビーフは止めておけばよかった。

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今日は偶々、タクシー同乗者が「彼女」と食事とのことで別行動、帰りが一人になったので久しぶりに「ポジョッ」に行ってみることにした。先週も今週も、タクシー同乗者は欧米系(イギリス人)。一緒にジャワ料理店なんて行くはずも無い。
この同乗者、奥方がベトナムのホーチミン・シティに住んでいるらしいが(偶に帰るらしいが)、今日の夕食の相手はやはりホーチミン・シティからやってきた(若い)ベトナム女性だと。ちなみにこのイギリス野郎は小生よりも遥かに年上。浮気なのかどうかはさておき、そういう話をいけしゃあしゃあと、同乗者たる日本人(小生)へ喋る神経がどうも理解できない。欧米系は総じて、そういうところは無神経な程オープンである。
「ポジョッ」に到着。ひとりなので誰憚ることなく、そのままタクシーを待たせ、店内へ。小生の手ぶり一つで、いつもの女将はテイクアウトだと理解してくれ、直ちに油紙の上に白飯を載せて待ち構える。今日は何にしようかと一瞬だけ考え、鶏卵(の煮物)とテンペ(の煮物)と空芯菜(の煮物)にした。
これでも価格はIDR12,000(≒96円)。やっぱりテイクアウトは申し訳ないほど安い。車に戻って運転手にIDR2,000札を渡すと、それは直ぐさま「横断お助け人」へ。路肩から車線に出るだけなので簡単だが、その「横断お助け人」の役割はそこまで。10数メートルほど直進した後右折してホテルへ入るには、今度そこにはホテルお抱えの「横断お助け人」が待ち構えている。
部屋に戻ったら早速、包みを広げて夕食。いつものことながら、香辛料は(インドネシアにしては)極めて抑え目で、やさしい味。あっという間に平らげた。
日本の料理的には、これだけのおかずでこれだけのご飯を喰えるのか、バランスが悪いのでは、と思う向きもあるかも知れないが、インドネシア料理(マレーシア料理も同様)は煮物の汁だけで飯が喰えるという感じ、まったく心配なく、ぺろりとご飯が無くなってしまう。これがなかなか病みつきになるのだ。

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また今週の夕食も、ケンタッキーフライドチキンで始まった。こんなことは、もちろん日本でも無いことだが、偶には変わった境遇に身を置くのも悪くない。タクシーの同乗パートナーが変われば、また自ずから行き先も変わるもの。これで、KFCのチキンチーズバーガーが病みつきになってしまい、日本に戻ってもひたすら食べ続ける、なんてことに果してなるだろうか。我が家の近所で云えば、イトーヨーカドーや、ららぽーとにKFCはあるらしいが、さてどうなるか。映画を観るときに、買って持っていくぐらいか(当然ながら、持ち込みは禁止だが)。閑話休題。
今宵のテイクアウトは、チキンチーズバーガー(IDR20,000≒160円)だけにした。これにフライドチキンを付けると、食べられなくはないけれど、やっぱりこの頃ちょっと重い感じがしてきた。こちらにいると全く動かないので(歩くのはトイレに行くときだけ)、摂取した脂肪分はそのまま腰に沈積していくのみだ。
いつも感じることだけど、テイクアウトだと、買ったときにはふっくらしていたバンズが、食べる頃には冷えてやや萎びた状態になる。味は悪くは無いが、見た目はちょっといただけないな、と。やっぱりハンバーガーも出来立てが見た目にも美味い。
朝、昼しっかり喰っているので、夕食はこんなものでもいい筈だが、今日はちょっと物足りなかったのか、買っておいた食パンを一枚喰う気になった。食パンは、その辺のスーパーでも割とちゃんとしたものが買える(しかし、香りがちょっと日本のものと違う。酵母の種類が違うのか?)。さすがにパンだけでは味気ないので、やはり買っておいたスライスチーズとハムを挟む。
ハムは、もちろんポークではなく、ビーフ。何故かスーパーには、チキンハムが見当たらない(たしかマレーシアでは、チキンハムが主流だった)。ビーフハムは色々試したが、どれも何となく香りや味がいまいちだし(余り美味そうな香りがしない)、それに安い部位を使っているのか、ときどきスジっぽいのに当たることがある。そういえば昔、日本でもそんなハムがあったような気がして、ちょっとだけトリップした。

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夕食後、ベッドに寝転がって本(電子書籍)を読んでいると、ドアフォンが鳴った。時計を見れば午後9時。小生にとってはもうそろそろ寝る時間だ。今頃なんだろうとドアを開けると、ボーイが「ハッピー・サンクスギヴィング!」と云いながら、四角いプレートを差し出した。
なんでサンクスギヴィングなんだろうと思いつつ、とりあえず「ありがとう」と受け取る。プレートには、短冊切りのパンのようなものと、メッセージカードが乗っている。カードには、"Thank you for staying with us. We hope this cake can brighten up your day."などと書いてある。パンじゃなくて、ケーキだ。
サンクスギヴィングはちょっと早過ぎるんじゃないかと調べてみれば、11月の第4木曜日、まだ再来週の話だ。それとも、インドネシアのサンクスギヴィングは今週なのか? まあ、そんなことはどうでもいいか。
日本人的には、イスラム教徒ばかりの国だから、サンクスギヴィングも無いだろうと思ってしまうが、実はインドネシアの祝祭日には、イスラム教由来だけでなく、キリスト教や仏教、ヒンズー教にまつわるものがちゃんと含まれている(但し、サンクスギヴィング・デーは祝祭日ではない)。中国的な春節だって立派に祝祭日だ。これは、イスラム教徒だって他宗教の休みを楽しんじゃおうという、良いとこ取りの如何にもインドネシア的発想である(マレーシアも同様)。日本では、宗教的にニュートラルじゃないと祝祭日になり難いので(右翼も左翼も文句を云うので)、日本人には、インドネシア人やマレーシア人の無邪気さが羨ましい。話が逸れた。
ともかく、たっぷり夕食を摂った後なので、今日はとても無理。翌朝に喰うことにし、ケーキは冷蔵庫へ。翌朝、齧り付いてみると、(インドネシアらしく無く)ちょっとだけ甘くって、中にはチーズも練り込まれていて、生地はしっとり。なんだかんだ、結局全部喰ってしまった。なかなかイケる。なんて云う名前のケーキだろうか。もちろん、朝食はこれでやめにした。

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仕事帰りに今宵も再び、若者達とKFC詣で。基本的にチキンが大好きで、かつ欧米の食文化にも興味があるインドネシア人にとって、KFCはピッタリくる店なのだろう、それが証拠に既にインドネシア国内では600店を超えているらしい。しかしインドネシアは広い。島の数からして1万以上もあるらしいから、まだまだ成長の余地はたっぷりある(ちなみに、日本は1,000店ちょっと)。
かたやマクドナルドとなると、日本では3,000店を軽く超えているのに、インドネシアでは100店ほどしかない。たぶん、ここプカロンガンには店舗が無い。人口が30万人を超えるような都市で、マクドナルドが1軒も無いのは、日本人的にはちょっとびっくりだ。もちろん、インドネシア人だってビーフを食う。しかし、マクドナルドの営業努力が足りないというよりは、やはりインドネシア人はビーフよりはチキンの方を好む性向のせいかと感じる。
そもそも、店で出てくる牛肉はたいていの場合、筋っぽくって硬い。顎が疲れるし、歯の隙間に挟まる。街中を移動するトラックに乗せられた牛を見ても、皆、痩せてして栄養状態が良い様には思えない(≒美味そうに見えない)。そのイメージがインドネシア人に刷り込まれていて、ビーフ、しいてはハンバーガーに人気が集らないのではなかろうか。
先週も似たようなものだったが、今週のおやじタクシードライバーに「KFCへ行ってくれ」と云っても、「へ、KFC?って何?」という感じで、まったく話が通じなかった(而して日本人若者がナビゲート)。タクシードライバーのくせに、KFCそのものを知らなくていいのか、と心配してしまう。少なくともまだ、KFCがあらゆる世代に受け入れられている訳ではなさそうだ。今回は、チキンウィング(IDR8,500≒68円)を2本買った。これで136円とは、かなりお得である。

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今日の夕食は馴染みの者同士、おやじ3人で「チン・ロン」に行きましょうか、という話になった。行ってみると、店内のテーブル席はほぼ埋まっていて、大カラオケ大会(?)の真っ最中だった。ぱっと見、すべて華僑系のようである。おばちゃん達は、やけに派手に着飾っているが(おやじ達もそれなりだが)、きっとここに関西のおばちゃんが混ざっていたとしても、見分けはつきそうに無い。
どういう集まりなのか判らないが、中国本土にルーツを持つ者達のコネクションネットワークがあるのだろう。日本で云えば、県人会のようなものか。みんなビールを呑んでいい調子だ。華僑でイスラム教徒というのはやはり少ないのだろう。
それにしてもこんなところに、我々が混ざって呑み喰いするのはゾッとするな、と思っていたら、流石に店も気を使ってくれて、皆さんはこちらにどうぞと、扉で仕切られたVIPルームに通される。隔離されたのは我々だけではなかったが、これならばカラオケで話が遮られるということはなさそうだ。
それにしてもこのプカロンガンでは、華僑系はかなりマイノリティのはずだが(恐らく5%以下?)、皆さん、総じて裕福そうである。この町でも時々見かけことがあるが、やけに高いコンクリート塀で囲まれていて、その塀の上にはご丁寧にも鋭く尖ったガラスの破片が埋め込まれている家がいくつもある。いかにも金が唸っていそうな雰囲気を醸しているが、きっと今ここに居る連中も、そんな屋敷に住んでいるに違いない。
このようなひと握りのマイノリティが町の経済を牛耳っている構図は、ジャカルタだけに限らず、ここプカロンガンのような地方都市でもちゃんと成り立つ。お隣マレーシアでもそうだった。こんな店に入っても、そんなインドネシア社会の縮図を感じられる。

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小生がタクシーで同行する人は、比較的、ウェスタン・フード(≒ローカル・フード以外)を好むものが多いので、夕食にローカルフードを食す機会が少ない。偶々今日は、同行者が他の人たちと飲み会があるということで、小生はひとりでタクシーを利用することとなった。
このまま真っ直ぐホテルへ帰ってもいいが、ならばせっかくなので「ポジョッ」に行ってみようか、と思い立ち、ドライバーに告げる。しかし、今週のドライバーくんはきょとんとしていて、まったく要領を得ない。そんな店あったかな、ってな感じ。ホテルの目の前だよ、と云っても通じない。そのうち、ちょっと他のドライバーに聞いてくるよ、云い残して車を降りていった。
やがて戻ってきたドライバーは、なんだ、あのジャワ料理レストランのことだったのか、と判った様子で苦笑い。ジャワ料理の店に行くとは思わなかったよ、と云う。日本人は皆、ウェスタン・フード・レストランばかりだと決めてかかっていたようだ。
考えてみれば当たり前だが、ここはインドネシアではなくジャワなんだ、ここで喰うローカルフードはジャワ料理なんだ、と改めて感じる。
「ポジョッ」に着いても車を返さず、ちょっと待っていて呉れ、とドライバーくんに云いおいて、店に入る。いつものように、身振りでテイクアウトと説明(そろそろ、インドネシア語でテイクアウトとはなんて云うのか、覚えたほうがいいかも知れぬ)。
テンペの煮物と、空芯菜の煮物をチョイス、IDR50,000札を渡すと、おつりがIDR41,200も返ってきた。つまり、IDR8,800(≒70円)だった。やすっ!

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また日本人若者連に連れられて、今宵も仮設店舗のKFCへ行くことになった。前回から3日しか経っていないが、それもまた佳し。今週のタクシー運転手は、KFCが仮店舗で営業していることを知らなかったようだ。我々が普段使っているタクシー会社はスマランが拠点なので、プカロンガンの店に余り詳しくないのは不思議ではないが、それでも偶々やってきた日本人の方が、インドネシア人よりも店を知っているというのは、やはりちょっと不思議な気はする。
今日は、チキンチーズバーガーと、チキンウィングにしてみた。チキンウィングは既に出来上がったものがあるが、チキンチーズバーガーはこれから作るので、5分お待ち下さいとのこと。
そこそこ客が来ているが、火事に遭う前の店舗では、大変人気で大行列ができたらしく、並ぶのが大変だったと、日本男子は云う。並んでいると、ちゃんと並んでいない者や割り込んで来る者などが居たりするのはまあ許せるとして(それはそれで許せないと思うけど)、店員が仕事をほったらかして、店に来た友達とべちゃべちゃしゃべっているのが腹が立つ、とのこと。その気持ちは判る。しかしこれは国民性と云うよりも、単に教育の問題だろう。日本のKFCの教育はどんなものか知らないが、あまりそのような話は聞いたことがない。
いずれにしても旧店舗は、そんなこんなで結構待たされて、一向に行列が減らなかったそうだ。それに較べれば、今は楽。店側としては売り上げは下がっているかも知れないが、少なくとも我々としては、このままここで仮店舗のままの方が良い。
仮店舗の今日のレジ係は、何故かおじさんである。インドネシアでも一般に、レジ係は若い女の子が多いと思うが、何故だろう。エアコンが無くて、蚊がぶんぶん飛んでいるところは、若い女の子に嫌われるのか。同行の若者は、女の子の方が良かったかも知れないが、小生はおじさんで全く問題ない。インドネシアでKFCのチキンバーガーをテイクアウトするんだったら、てきぱき働くおじさんがレジ係の、テント店舗が良いと思う。

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この頃、夕食は2日に1回はホテルで喰うパターンになっている。選ぶのは、対象がNasi(ご飯)か、Mie(中華麺)か、Udon(うどん)か、Mihun(米粉)か、Kwey Teow(河粉)かは別にして、安易にGoreng(炒め物)ばかり頼んでいた。
Nasiは、たいてい朝飯と昼飯で喰うことになるので、夕食には余り多くはない、というか意識的に外している。そうなると基本的に麺類。その日の気分(寺田寅彦曰く、その日の宇宙線被曝量次第)で決めることが多いが、Udonは必ずしもいつも在庫がある訳ではないので巡り会うことは少なく、残りの3種類を入れ代わり立ち代わりでチョイスしていた。
今日はふと、馬鹿の一つ覚えみたいにGorengではなく、偶には違った料理方法にしてみようと、Siramを選んでみることにした(たぶん、今日の宇宙線被曝量は殊の外、多かったようだ)。
なんちゃらSiramという料理がいくつかあるのは、メニューで見ていて知ってはいたが、どのような料理方法かは聞いたことが無かった。今回改めて聞いてみると、なかなか端的に説明するのは難しそう。喋る方のインドネシアボーイも、聞く方の日本人オヤジも、英語力はほぼ同程度、彼の表現力では、小生の頭の中に確固たるイメージがなかなか浮かんでこなかったが、どうやらなんとなく、あんかけのようなものらしい、というところまで判った。ならば、それにしてみようと、Kwey Teow Siram Ayam Chasio(IDR45,000≒360円税別、サービス料別)を注文。Ayamは鶏肉、Chasioは叉焼である。
部屋で待っていると、ボーイがKwey Teow Siram Ayamを持って登場。あんかけというよりも、炒めた最後に片栗粉でとろみをつけたもので、広東料理でよくある感じ。これならばGorengよりもいいかも知れない。今後は、こっちを主体にすることにした(当然かも知れないが、Nasi Siramという料理はメニューには無い)。

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プカロンガンにも、ケンタッキー・フライドチキン(KFC)があることを知った。今週のタクシーで同乗した日本人若者に「寄っていいですか?」と聞かれ、一も二もなく同意。行ってみると、何故か仮設テントだ。訊くところによると、入っていたショッピングモールが火事に罹災したためらしい。でもこんな状態でも営業ができるんだ、とちょっとびっくり。
いっそのこと、(暑くて蚊に刺されるかも知れないことはさておき)ずっとこのまま営業を続ければ、テナント料もかからないだろうし(土地の場所代は取られているかも知れない)、一層、儲かるんじゃなかろうか、と思う。我々も、テイクアウトだけならば、この暑さや蚊はあまり問題ではない(このテントの中で喰う気は起こらないなあ)。もしかすると、テントではメニューの種類に制約があるのかな。
小生は、チキンフィレクリスピーIDR18,000(≒144円)と、チキンチーズバーガーIDR19,000(≒152円)をチョイス、テイクアウトチャージ(つまり持ち帰り用の箱代)IDR1,000(≒8円)で、しめてIDR38,000(≒304円)だった。日本で久しくKFCなんて入っていないので、相場が判らないが、日本の半値ぐらいだろうか。
チキンフィレクリスピーもチキンチーズバーガーも、普通に美味い。ということは、この味にはインドネシアらしさは感じられない。ケチャップだけでなく、チリソース(サンバルソース)も付いてくるところが唯一、らしいところだろうか(まあ、使いませんけど)。まだ20代の、今日同行した若者は、プカロンガンで「KFCが一番美味い」と断言した。アメリカナイズした味覚には、きっとそう感じるだろうと思う。小生には、週一ぐらいだったらKFCでもぜんぜん悪くない。でも、喰ったのは恐らく20年ぶりぐらいだと思う。

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朝夕の通勤の車は、同乗者が時々入れ替わる。今日はフィリピンから来ているエンジニア達と一緒。彼ら曰く、ここプカロンガンの物価は、彼らが住むフィリピン・セブ島よりも安いとのこと。へー、そうなんだと純粋に驚く。日本やシンガポールに較べれば、東南アジアの国々は似たり寄ったり、フィリピンとインドネシアの物価水準も大して違わないだろうと漠然に思っていたが、そんなことはなくそれなりに違うようだ。それでも彼らは、夕食をホテルのルームサービスで済ませるようなことはしない。かといって自炊道具を揃えている訳でもなく、やはり専ら、ローカルの人たちが入る食堂に行くのだそうだ。
その一つが、小生もこれまで何回か入ったことがある「ポジョッ」(Pojok)。でも彼らは、その場で食べることはせず、毎度持ち帰るんだ、と云う。何故?と訊けば、だって、暑くって蚊がぶんぶん飛んでいる所で喰うよりも(たとえ刺されなくても)、空調が利いたホテルの部屋の方がいいでしょ?と。そりゃあ、そうだ。でも、フィリピン人に気付かされるとは思わなかった。
小生も車を降りて「ポジョッ」へ付いて行く。フィリピン・エンジニア君もインドネシア語を解せないので、身振り手振りでテイクアウトと告げる。小生は「こいつと同じ」と指をさすだけ。いつもの女将さん(?)は、油紙のような2枚の紙を重ね合わせた上にご飯をよそい、何にする?と目で聞いてくる。テンペの炒め物と、魚の南蛮漬けのようなものを乗せてもらい、IDR15,000(≒120円)。テイクアウトの方が、安いような気がする。ご飯とおかずは、実に手際よく紙の中へ丸め込まれ、袋に入れて渡された。
もう車は返してしまったので、テイクアウトしたあと、いったいどうするのかとフィリピン・エンジニア君に付いて行くと、バンバン車やバイクが行き交う国道沿いをさらに西へ進み、丁度我々のホテルの真正面まで来た。道路の反対側には、ホテルが雇っている「横断お助け人」がいる。すると、その「お助け人」が我々に気が付き、笛を吹き鳴らし旗を振りながら、こちらに向かって渡ってくるではないか。要するに、我々を迎えにきてくれた訳だ。後は、また戻っていく「お助け人」にくっ付いて渡るだけ。当然、お金はタダ。フィリピン・エンジニア君のコスト節約術に感心した。

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やや定刻より遅れたが、無事スマラン空港に到着。外を見ると、窓ガラスが濡れている。久しぶりに見た、インドネシアの雨。これから雨季が始まるらしいので、イヤというほど見られるのだろう。バッゲージ・クレームでも滞りなく荷物は出てきた。もうちょっと早い時間に着けば、何処かの店に入って一杯やってみようかとも思ったかも知れないが、すでに午後9時を過ぎ、そんな気持ちにもなれない。ホテルへ行って寝るだけだ。
更には、空港に着くまでは、迎えの運転手に、何処かの「闇の酒屋」に寄ってビールを買いたい、と我が儘を告げようかとも思っていたが、別に一日や二日呑めなくったって、そのストレスで胃に悪いことも無かろう、もう俎板の上に乗った鯉だ、ジタバタしないことにした。
インドネシアのホテルやオフィス・ビルには、ほぼ間違いなく屋根付きの車寄せが付いている。ここ"HOM Hotel"だって、車をぐるりと回せるほどのスペースはないものの、立派な屋根が迫り出している。以前は、ラグジュアリーな雰囲気を醸し出す演出かと思っていたが、実際に東南アジアの国に来てみてみると、これは全く実用的な手段なのだと判る。今夜もこの屋根が無かったら、車から降りた瞬間ずぶ濡れになったはず。日本でも、ゲリラ豪雨が日常化すれば、このようなスタイルを見習う必要があるかも知れない。
翌朝はやっぱり4時ごろ、何処か近くのモスクから流れてくる、大音声のアザーンで叩き起こされる。でもそのままでは起きず、うつらうつらしているうちに、だんだん外が明るくなるので、諦めて起床。カーテンを開いて外を見れば、窓の下には競技場が見えた。なにやらこんな朝から走っている者もいる。ご苦労なことだ。いや違う、こんな時間だからこそ走っている者がいるのだ、と気が付いた。真昼間にトラックを走るなんて、いくらインドネシア人でもしないはずだ。

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GA246便に搭乗。まあまあの混み具合。小生の隣は空いていた。ひとつ置いて窓際席は、ペーパーバックを読む欧米系男子。こちらも席に着いたらポケットからタブレットを取り出し、さっそく本(電子書籍)を開く。
この頃読んでいるのは、佐々木裕一著「公家武者 松平信平」という時代物。五摂家のひとつ鷹司家の庶子だった信平(のぶひら)が、公家であるにもかかわらず何故か徳川の旗本になって、江戸で大活躍するというやや荒唐無稽な物語で、なんとなく弱きを助け悪者を懲らしめる、水戸黄門的痛快娯楽テレビドラマのような小説である。しかし、これまでに16巻も出ているのだから、それなりに人気があるのだろう。
暇つぶしに読むには丁度いいかなと思って読み始めたのだが、多少チャラいながらも、これがなかなか読み飽きない。結局、あっという間にもう16巻目になってしまった。娯楽小説としては、意外にイケているということかも知れない。ちなみにこの小説は、コミックにもなっているようだ。
ところが最近知ったのだが、この京都の公家から江戸の旗本へ転身した松平信平というひとは、なんと実在した人物である。小説の中でも描かれているが、徳川3代将軍家光の正室・孝子(信平の異母姉)を頼って15歳で京から江戸に出て、家光から寄合旗本として召抱えられたのも事実ならば、ときの紀州藩主徳川頼宣の娘・松姫を娶ったことも、松平姓を許されたのも事実である(剣の達人だったかどうかは定かではない)。
小説ではこのあと、大名まで出世するのだが、実際は七千石止まりだったようである(しかし、孫の代には実際に大名にまでなっている)。まさに事実は小説よりも奇なり、この僅かな人物像を知っただけで、佐々木裕一ならずとも、小説を書いてみたい気持ちになりそうだ。

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ジャカルタ到着後、いつものようにターミナル2の外へ出ると、むあ~っと暑く気だるいインドネシアの大気に包まれる。辺りはまだターミナル3の整備工事が続いている。こんな暑さの中、ご苦労なことだと思うが、実際、だらしなく座り込んだりしている作業員もいる。彼らに較べれば、こっちはまだマシかなと、スーツケースを転がしてスカイトレインの駅に行き、ターミナル3へ移動。
標識が少ないせいか、単に見逃したせいか、チェックインカウンターは上だと判っているのに、なんとなくエスカレータで1階まで降りてしまい、何処かにエレベータでも無いかと探したが見つからず、結局またさっきのエスカレータまで戻ってガルーダ・インドネシア航空のカウンターへ。
チェックインと手荷物検査を済ませて漸く、出発ゲートがあるフロアへ到着する。さて、このあとどうするか。いつものことながら、ジャカルタ着が15時55分で、次のスマラン行きGA246便が19時35分発なので、この時間に夕食を喰うべきところなのだが、GA246でも例のランチボックス(ディナーボックス)が出てくるので、(大して楽しみではないが)丸ごと食べなくても多少腹を空けておかないと勿体無い。そうなると、ここで喰うのは麺類ぐらいが望ましいか、などと考える。
そんな頭でうろうろしていると、ちょうどうってつけの店があった。"Happy Chappy Chinese"と、ちょっとダサい名前の中国カフェ。お子様御用達じゃああるまいし、こんな名前でも客が入るのだから(自分も入ったことはさておき)、不思議と云うかインドネシア人の感覚はちょっと理解できない。
頼んだのはやきそば(Chick Chow Mein Egg Noodle、IDR65,000≒520円)とアイスウーロン茶(IDR35,000≒280円)で、きっちりIDR100,000(≒800円)だった。やきそばは、上海風でまあまあの味。アイスウーロン茶はプラスチック容器に入って出てくるのだが、何故か蓋がシールされていて、ストローを突き刺さないと飲めない。このシールは何処で封じたの? なにしろ、中に氷が入っているのだから、ついさっき、そこでやったとしか思えないが、わざわざシーラーを使ってここまでやる必要性がいまいち判らないのだが・・・。次回は、そのシーラー器具を拝見したい。

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前回はボーイング767だったが、今回は787ドリームライナーになっていた。しかも機材は、スターアライアンスの特別塗装機である。この塗装機に乗るのは初めて。機内の一部の照明が安っぽいスナック風に見えて、なんだか面白い。787には、プレミアムエコノミー席が14席ある。予めそう知っていたら、試しにアップグレードしておくんだったと後悔(搭乗時には流石に一杯だった)。
扉が閉まる前から映画を観始め、ジャカルタ空港のゲートに到着するまで観続けたので、長編も含め3本観ることができた。
1本目は、「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」という、第2次世界大戦中の、とある島で起きた出来事を描いた映画。日本未公開のイギリス映画である。ガーンジー島なんて聞いたことも無かったので、あとでGoogle Mapで調べたらイギリス領土ながら、フランスと目と鼻の先にある。だから大戦中、ドイツ軍に占領されていたのだと納得がいった。原作はベストセラー小説だそうである(日本では「ガーンジー島の読書会」という名前で本になっている)。なかなかしっとりくる映画。主人公は、リリー・ジェームス(Lily James)というイギリス女優、チャラチャラしていなくて好印象。「ダウントン・アビー」や「ウィンストン・チャーチル」、「シンデレラ」にも出ているらしいが、何れも見たことが無いので知らなかった。他の俳優達もいい味出している。
その次は、見逃したままになっていた「インターステラー」。マシュー・マコノヒーが相変わらずカッコいいな。それはともかく、ストーリーがかなり複雑難解な印象。皆さん、これ1回見ただけで理解しきれたのかね。移民プランAに必要な重力方程式を解く上で、足りなかったデータを、クーパー(マシュー・マコノヒー)がブラックホールに飛び込んでゲットできたってところが全く良く判らないし、そのデータを娘のマーフへ、モールス信号で伝えられた?ってところが激しく消化不良。でもまあ、作り込みはかなり深遠、これはSF映画としては名作になるかもね。見たことがある端役(ヒール役)が出てきたな、誰だっけと思ったらマット・デイモンだった。
最後に見たのは「Hotel Gagarin」(ホテル・ガガーリン)。これも日本未公開。イタリア映画って、たとえ映画の舞台がアルメニアだろうが、やっぱりイタリアのテイストがする。不思議。ドタバタコメディになりそうでならず、ちょっとジーンとくる展開が洒落ている。いい映画だと思うけど、日本じゃたぶん公開しそうにない。ヒロイン(?)のバルボーラ・ボブロヴァ(Barbora Bobulova)が存在感を示していた。イタリア女かと思ったら、スロバキアの俳優だった。何処かで見たような気がしたが、「ココ・シャネル」で若き日のシャネルを演じていた(年をとってからはシャーリー・マクレーン)、と云えばお分かり?

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家を午前5時半過ぎに出て、つくばエクスプレスで北千住へ。この時間ならば、座れはしないものの、車内はスカスカ。北千住駅からは、羽田空港行きのリムジンバスに乗る。これが一番乗り換えの面倒が無いので楽だ。大きなスーツケースを持った移動の場合は、やはり乗り換えの手間と電車内の混み具合がとても気になる。
羽田空港国際線ターミナルに着いたら、さっそくANAのチェックインカウンターへ。少しだけ行列が出来ていたので暫し並ぶ。手荷物検査場も意外に行列が出来ている。プライオリティ・ゲートがこんなに混んでいるんじゃ、プライオリティの意味が無い、とイライラしながら呟いている客もいた。イミグレーションにも行列が出来ていたが、小生は自動化ゲートから、しゅっと出国完了。
ちょっと土産物などを物色した(自分用に、スコッチウィスキーのボトルも1本買うことにした)ら、もうやるべきことは終了。時計を見ればまだ8時前。ゲートが開くまで2時間もある。ひと寝入りしても良さそうだが、とりあえずANAのラウンジにいく。
受付カウンターのおねえさん方に「ごゆっくりどうぞ」と云われて中へ。この時間だったら前回はガラ空きだったが、豈図らんや、今日は思ったより混んでいる。小生の後からも続々とやってきて、シートはすぐ半分以上埋まった状態にまでなった。今はそういう時期なのだろうか。
今回も移動だけなので、朝からアルコールをいただく。インドネシアに着いたらしばらくご無沙汰になるかと思うと、意地汚く余計その気になる。そう思うだけでたぶん、グラス1杯分ぐらい増える感じ。そう考えているのは小生だけでなく、皆さん結構やっている。焼酎ロックを呑んでいる輩だっている。
先ずは、ここでは食べたことが無かったヌードルコーナーで、とんこつラーメンを注文。その間に、生ビールをゲット。たちまち生ビールは儚く無くなってしまうので、そのあとは白ワインをいただく。出張は基本的に憂鬱だし、ましてや出張先はアルコール愛好者に無慈悲な国である。取り敢えずは今を楽しもう。

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今回も、僅かに溜まっていたマイルを吐き出して、ビジネスクラスへアップグレード。前回に引き続き夜行便に使ったのだが、限られたアップグレードのチャンスを昼行便に使うか、夜行便に使うべきかはちょっと悩みどころである。
ジャカルタ~羽田間の夜行便に使うメリットは断然、フルフラットシートで寝られること、である。エコノミークラスのシートとは、天国と地獄ぐらい違う。一方、食事のことを考えると、せっかくのビジネスクラスの有難さが無駄にしている感がある。所詮、朝食は朝食、エコノミーとの差は大したことはないし、朝なのでアルコールを呑むわけにもいかない。食事を取るか、睡眠を取るかという選択は結局、食欲と睡眠欲との戦いである。するとやはり、最も低レベルの欲求である、睡眠欲が勝つということになるのは自然のことなのかも知れない。
ビジネスクラスは、出発前の僅かな時間でも、飲み物のサービスがあるところが、ちょっとうれしい。小生は有難くスパークリングワインをいただく(ほんとは2杯ぐらい欲しかった)。その後順調に離陸し、ランプが消えれば直ちにシートを倒して就寝。
寝ることが先決なので、映画どころではないが、やっぱり朝4時頃に叩き起こされた後、まだ着陸まで2時間半以上あるので、何か映画を観ることにする。ぼーっとした頭では、読書よりも映画が優先される。どれでも良かったが、「アベンジャーズ・インフィニティーウォー」といういわゆるマーベル系を観る。アイアンマンやスパイダーマンをはじめとする「アベンジャーズ」のキャラクターだけでなく、ドクター・ストレンジや、ピーター・クイル率いる「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のチームも出てきて、もうマーベル系キャラクターが全部出てきたてんこ盛り映画。が、ストーリーは至って単純。結局、地球のオールスターチームは、サノス一人にこてんぱんにやられたところで映画は終わり。基本的にSFは嫌いじゃないが、このような切った張ったのSFアクションものに、面白みを見出せなくなってきたようだ。

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