山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

宿泊施設

今回は久しぶりの大菩薩連嶺。通常であれば甲斐大和駅か塩山駅からのアプローチになるが、今回は奥多摩駅から。それには理由があるが、ここでは省略。ともあれ、県道508号大菩薩峠線で白糸の滝駐車場までタクシーで入る。もっと先まで舗装されているのに、何故か「営業用車両はここまでしか入れない」のだと運転手は云っていた(山行記録はこちら)。
白糸の滝をちょっと鑑賞したあと、車道を外れて山に入る。この径はいにしえからの生活道路で、馬でも往来できるような緩やかに造られている。そのせいで、大菩薩峠まで凡そ900mの高低差があってもそれを感じさせない。眺めは無いが新緑が気分いいので、3時間余をかけてゆっくりと登った。
今までは殆ど人には遭わなかったが、さすがに大菩薩峠には多くのハイカーが屯している。今日の眺めはいまいちだけど、気分は上々、暫くのんびりしてから大菩薩嶺には登らず、上日川峠へ向かって下ることにした。
福ちゃん荘には多くのテント。このコロナ禍にあっては、ソロテント泊がリスクが低いという共通認識が出来ているようで、大した賑わいだ。確かにテント内のリスクは低いかも知れないが、テントの周りは結構、高そうだ。
程なく上日川峠の「ロッヂ長兵衛」に到着。前回はコロナ禍前の2018年10月13日。嵯峨塩鉱泉から登って日川尾根を辿ってやってきた。今日は、その時よりも人は少ない。着いた途端、なおちゃんは生ビール(600円)を買いに建物に飛び込む。流石に行動が早い。気温はやや下がってきたが、おかげで汗を引かないうちのビールを呑むことが出来た。

02 白糸の滝駐車場。
07 わざわざ寄り道するだけの価値はある。
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10 やっとここから山道。
11 橋はしっかりしている。
12 如何にもむかし道。
14 斜面をゆるくトラバースする径。
18 ヒノキ林を通過。
22 あくまでも緩い登り。
24 この道標もクマに齧られている。
25 なかなか標高が上がらない。
33 ミツバツツジを見上げながら登る。
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34 ようやく標高1,550mを越えた。
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42 大菩薩連嶺らしくなってきた。
43 大菩薩峠に到着。
47 眼下に大菩薩湖。富士山はやっぱりガスの中。
48 いつもの風景。
50 そんな登山客は我々ぐらいか。
51 のんびり過ごす。
52 今までは圏外だったので。
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54 福ちゃん荘にはテント泊客が多かった。
55 ロッヂ長兵衛に到着。
56 生ビール、冷えてます。
57 いただきます。
58 タクシーを待つ。

2日目は特に登る山は無く、北温泉から那須湯本まで遊歩道を散策。季節はツツジ。北温泉界隈はミツバツツジと、所々にシロヤシオが咲いていて、標高が下がるにつれヤマツツジが増えてくる。遊歩道はとても歩き易く整備されているのに、実際に歩いている人は殆ど見掛けない。多くはここの存在を知らず、マイカーで通り過ぎていくのだろう。
「八幡つつじ園地」は以前、入口付近だけ覗いたことがある程度だったので、今日は端から端まで歩いてみる。丁度、ヤマツツジが見頃になっている。元々は鹿が食べ残したツツジが多い場所、ぐらいだったのだろうがそれが増え、今は木道などがちゃんと整備されていて、これで入園無料は随分、太っ腹だ。流石にここは観光客がいるが、混み合うほどではない。
一番外れにあるつつじ吊り橋を渡り、殺生石まで下った後、もう那須湯本は目の前だが、折角の機会なので今まで入ったことが無い「高雄温泉」まで行ってみることにした。
殺生石から200m弱登ってひと汗かいたところに、その「高雄温泉」がある。ここは昨日泊まった「北温泉」同様、那須七湯の一つ、由緒正しい温泉。今は某激安ホテルチェーンの傘下にある「おおるり山荘」が一軒あるだけ。
建物はやけに大きいがひと気が無い。入っても広いロビーには誰もいない。フロントで500円を支払って風呂場へ行く。フロントの女性係員曰く、露天風呂は(理由は忘れた)入れないので内湯をご利用下さいと。建物の一番外れにあるので結構遠い。途中、食堂などがあるがやはりガランとしている。後で調べてみると、ここは素泊まり専用の宿になっているらしい。
湯は、ぬる好きの小生でもかなり温いと感じる。体温よりちょっと高いぐらいか。少々青み掛かった乳白色で、身体に優しいような肌触りである。入れ替わりに、浴衣を着た中年客がやって来た。ということはお泊りの人だろう。こんな山中の、飯も出ない宿に泊まりに来るのは、余程ここの湯が気に入った方とお見受けした。

073 眼下にシロヤシオとミツバツツジ。
077 標高1,130mはまだヤマツツジはつぼみ。
079 あくまでも緩やかな径。
081 ミツバツツジは見頃。
082 ここから八幡つつじ園地。
084 八幡つつじ園地(3)。
086 八幡つつじ園地(5)。
087 八幡つつじ園地(6)。
089 八幡つつじ園地(8)。
090 八幡つつじ園地(9)。
091 八幡つつじ園地(10)。
093 八幡つつじ園地(12)。
094 つつじ吊橋に出た。
095 かなり立派な橋だ。
097 吊橋からの眺め。
098 真下はこんな感じ。
099 ここを下れば湯本。
100 賽の河原。
102 これが殺生石。
105 車道を30分ほど登れば・・・
106 高雄温泉おおるり山荘に到着。
107 風呂上がりはやっぱりこれだよね。

那須連峰の最高峰、三本槍岳の東側に赤面山という山がある。標高は1,701mで、那須連峰の中では目立つような存在ではない。ただ、中の大倉尾根から眺めると、青々とした笹原の中に点在するドウダンツツジが真っ赤に紅葉していてとても印象的な光景が広がる。そんな山に、そのうち登ってみようと思っているうちに随分月日が流れた。
今回は赤面山を登り、麓にある北温泉に泊まろうというプラン。新白河駅から新甲子の登山口まで、タクシーで乗り付けた(山行記録はこちら)。登り始めは初夏のように緑が濃いが、標高が上がるにつれて季節が遡り、山頂付近はまだ芽吹き前の早春の装い。ガスに包まれた山頂には、先行パーティー4人組がいた。
ここまで約4時間、中の大倉尾根分岐まであと1時間、北温泉まで3時間足らずだが、次のピーク、前岳の先に急斜面の雪渓があると判り、これを横断しなければならない。横断すればたぶん、分岐まで10分くらいだろうか。しかしアイゼンもピッケルも持たない我々には、横断はややリスクがあると判断、きっぱり諦め、来た径を戻ることにした。
登山口に戻ったらタクシーを呼び、歩いて行く予定だった北温泉へ直接向かう。ここに泊まるのは随分久しぶり。パッと見、佇まいは昔と変わっていないが、近寄ってみると結構、草臥れてきている感じ。受付に居たのは中国系の女将。雇われ女将なのかどうか判らないが、中国系の男性従業員(もしかして夫婦?)もいた。鄙びた宿の雰囲気と中国系女将のホスピタリティはややミスマッチ感がある。
我々の部屋があるのは江戸時代の建物で、そのせいで宿泊費も2食付きで7,900円とかなりリーズナブル(小生は古い建物を好むので、願ったり叶ったりだ)。食事はそれなりだが、風呂は昔と変わりなく、とてもいい湯だった。

007 鉄製の階段がある。
008 右へ行くと青少年自然の家。
009 明るい尾根歩き。
012 那須でもこんな尾根がある。
016 この辺りはシロヤシオが多い。
017 来週あたりが見頃か。
018 タムシバ。
019 このコースで一番の急登。
021 まさに咲き始めたばかり。
023 木道出現。
026 笹がウザイが踏み跡はしっかりしている。
031 ゆるゆると登る。
033 低木はドウダンツツジらしいが芽吹きはまだまだ。
036 あそこのようだ。
037 赤面山山頂。
042 いったん、少し下る。
043 この先登りだが全く見えない。
044 雪渓に先行者。我々はここで引き返すことにした。
052 再びシロヤシオ群生地。
054 芽吹きに癒される。
055 北温泉に到着。
056 変わらぬ佇まい。
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057 ロビーの薄暗さも変わらない。
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058 さっそく「天狗の湯」へ。
059 誰もいなかった。
062 部屋呑み。
063 こちらは巨大な「泳ぎ湯」。
066 夕食。品数は豊富。
068 「河原の湯」。
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069 朝食。
070 部屋からの眺め。
072 さらば。

胃袋が満たされた後、「湖上レストラン鏡ヶ池」を出ると外は本降りの雨。もとより雨に濡れても問題ない恰好をしているが、それでも宿に戻るまでに結構降られ、濡れた。まだ午後2時前。時間があることは、敗退したことの唯一の恩恵。三和土で靴を脱ぎ、箪笥階段を登り部屋に上ったら、とりあえず濡れたものをハンガーに掛けてひと息つき、やおら酒とつまみを取り出す。
女子連も合流して自棄酒。とはいえ、山の上でこの雨に(たぶんこれ以上の雨に)遭遇しなくって良かった、と慰め酒をちびちびやる。だいたいこのGW時期は毎年、天気に恵まれるものだが、今年はいまいちだった、云々。何だかんだ与太話をしているうちに、いつのまにかもう夕食の時間。特に「ごはんですよ!」とかの呼び出しも無いので、頃合いを見計らって1階の囲炉裏の部屋へ移動。
テーブルの上には今宵も盛り沢山の料理が並んでいる。昨日よりも肉系が多い感じか。何れにしても、また酒がすすむこと、すすむこと。今日は殆ど歩いていないのに、やや酒が過ぎたのか忽ち爆睡して気が付いたら朝だった。
翌朝。朝食はゆっくりの時間にしてもらう。帰りの時間は決まっていて、入広瀬発10時9分発の列車の一択。それまでたっぷり時間がある。じっとしていられない女子連は女将さんの助言を得て、鏡ヶ池を経て裏山(鷹待山、標高339m)に登ると出ていった。一方、小生は前回同様、畳にごろ寝でしばし読書。
でも今日は気温が低めで、じっとしていると少々寒くなってくる。部屋の中でもフリースを取り出して羽織る。カジカの鳴き声も聞こえない。そろそろ時間になったので、支度をして宿を出る。ごきげんよろしゅう。また来る時には笑っておくれ。


172 手仕事手ほどき館に戻ったら・・・
173 自棄酒。
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174 そして夕食。
175 今宵も山菜、野菜たっぷり。
176 巾着の中身はもちとゴボウ。
177 そしてちょっと洋風。
178 肉も。
179 魚も。
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第2日目は浅草岳アタック。天気はパッとしないが、雨はもうすぐ上がりそうだと期待しながら朝を迎える。今年も、朝5時半に出発したいという我儘をきいてもらい、5時には朝食をいただくことができた。登山口に近いゲートまで送迎してもらったあと、少し車道を歩いただけで雪道に分け入る。雪質はまずまず。直ぐにアイゼンを装着する。
歩き始めても、冬道を選択すべきか、夏道にすべきか悩んだが、とりあえず冬道を辿ることにした。しかし、ちょっとした小沢に係るスノーブリッジを渡って尾根に取り付くと、根曲り竹の藪がすっかり露出していてとても先へ進めそうにない。標高はまだ700m足らず。諦めて夏道との分岐まで戻る。
夏道を探り出して東進すると、ヤヂマナ沢を渡るところのスノーブリッジが崩壊寸前の様子。万一踏み抜いて流されたらシャレにならないと、登頂はきっぱり諦めた。まだ時間は8時。このまま敗退するには早過ぎる。ちょっと天気が良くなってきたので暫し日向ぼっこして過ごす。途中、3人パーティーがやって来てそのまま夏道を辿って行って暫く戻って来なかったので、無事、ヤヂマナ沢を渡ったのかも知れない。しかし、戻ってくる頃にスノーブリッジがどうなっているのか、心配しないのだろうかとちょっと心配。大きなお世話かも知れないが。
ゆっくりとゲートまで戻る途中でまた雨が降り始めた(この天気では結局、山頂までは行けそうになかった)。さらにちょっと歩いた先に「浅草山荘」という宿泊施設があり、立ち寄り湯もやっている。入浴ができる11時よりも早く着いたが、玄関に居た支配人(大工作業中だったので、何処かの工務店の作業員かと思った)が快く「大丈夫ですよ」と云ってくれた。
ロビーも風呂場もガランとして誰も居なかった(宿泊客も居ないのか?)。期待していた風呂上りビールは、自動販売機はあるものの、在庫が無い(自販機は売切状態)とのこと!まさか!!(T_T)

100 雨が降っているがとりあえず出発。
101 ヤヂマナ沢橋。
104 後は守門岳の末端尾根。
108 まだ林道。
109 このスノーブリッジを恐々渡る。
111 ここで冬道を辿ることを断念。
116 そう云われると・・・
117 確かにそうだ。
119 あの先が渡渉点のはず。
120 スノーブリッジにヒビが入っているし、水量も多い。
121 落ちたら「冷たい!」ぐらいじゃ済まなそう。
124 それにしてもこのまま帰るのは早過ぎる。
126 日向は暑いので木陰で佇む。
127 人と残雪と杉林。
128 目の前は茫洋とした守門岳。
129 さて、ゆるりと参るとするか。
132 白崩滝。
136 おや、ミズバショウ。
140 時間はたっぷりあるのでまたのんびり。
143 スマホの標準48mm。
146 暫く車道歩き。
148 ブナの芽吹きと残雪と清流。
151 雨の中、浅草山荘に到着。
152 11時始業だが15分早く入れて貰えた。
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153 誰もいない男湯。
154 おひとり様貸切状態。
155 誰もいない館内。
156 浅草山荘からの眺め。
157 紅茶とコーヒーは無料でした。

4年ぶりの「手仕事手ほどき館」は、4年前と同じく女子部屋は1階囲炉裏部屋の隣、男子部屋は階段箪笥で上がる2階の角部屋。4年前は目の前の田圃から、カジカガエルの鳴き声が良く聞こえたが今日は静か。今年はやや気温が低いせいかも知れない。
神湯温泉から戻ってきて、部屋で日本酒を舐めながらちょっとのんびりしているうちに、もう夕食の時間。まだ外は明るい。前回は食べ切れず大量に残してしまったので、今回は量を少なめにとお願いしたが、それでも何だかんだ10品ぐらい、ずらりと料理が出てきた(時節柄、大皿で取り分けるスタイルではなく、全て小鉢に取り分けられて出てくる)。
山菜を含め、普段目にすることが無い食材、名前が分からない食材も出てくるものの、これは何ですかと折角訊いても、哀しいかな忽ち忘れてしまう。だからもし次回来たとしても、きっと同じ質問をするに違いない。でも毎回、新たな知識を得た快感を味わえるので、それはそれで悪くない。
素材の味を生かした、野菜中心の料理だが、これはこれで立派に酒の肴になるので、日本酒が進む。このような料理はやはり、日本酒でなくてはならない。考えてみれば家で自ら作る料理は、和洋中を問わず何かとスパイスやハーブを使って、無暗に味を捻くり回すことが多い。だから味自体が濃い目になり、素材の味が分からなくなる。
この宿で出てくる料理はそれとは真逆で、たぶん何れも、出汁と醤油と味醂、酒ぐらいしか使っていないのだろうと思う。それも割と控えめだが美味いし、結果、ご飯にも(といってもご飯までは辿り着けず)日本酒にも合うのだ。人の振り見て我が振り直せ。勉強になる。

010 4年ぶりにやってきた。
011 左からは入れません。
093 手仕事手ほどき館の囲炉裏。
094 懐かしの片口。
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095 「緑川」で乾杯。
096 アケビの芽は美味い。
097 とにかく山菜、野菜尽くし。
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残雪期の守門岳に登ってから早、4年。また入広瀬の「手仕事手ほどき館」へ泊まりに行く機会がめぐってきた。今回のターゲットは浅草岳。個人的にも、かれこれ30年ぶりぐらいになる。それは夏のある日のこと、今は無き、田子倉駅前の林の中にテント泊し、翌日、鬼ヶ面山を経由して登ったのだった。駅前には人家が全くないし、そもそも店も自動販売機も無い。何故こんなところに駅を造ったのだろうと、その時も思っていた、いわゆる秘境駅そのものだった。
そんな浅草岳なので、前泊は必須。それでも始発の新幹線に乗り浦佐で乗り換えれば、8時半には入広瀬駅に着いてしまうので、初日は手軽な山に登ろうと選んだのが鳥屋ヶ峰だ。名前からして鳥の塒になってそうな、緑豊かな低山だが、予想以上に眺望が良く、守門岳や越後三山などが遠く聳え、3年前に、同じように初日に登った下権現堂山が目の前に見えた。タムシバやムラサキヤシオが見頃だった。
満足して山から下りたら、すぐ宿の車に迎えに来てもらうことも出来たが、折角の機会なので地元の温泉施設まで歩いて向かい、午後2時頃に到着。その「神湯温泉倶楽部」は日帰りも、宿泊も、宴会も、キャンプもできる総合レジャー施設。建物も立派でしかも新しい。駐車場に殆ど車が停まっていないので、一瞬、休業中かと焦ったが杞憂だった。
先ずは700円を支払って男湯へ。風呂場はガラガラで勿体ないくらい、のびのび入らせてもらった。湯上りに食事処へ向かうと、だだっ広い座敷に先客がひと組だけ。メニューは実に豊富で、旬の山の幸も並んでいる。この充実ぶりは、今まで入った数多の日帰り温泉施設の食事処のなかでも間違いなく上位だろう。厨房で働くおばちゃんも如才がない。
満足して建物を出ようとすると、玄関脇に「雪下にんじん」がなんと6本180円(税込)で売っていたので、まだ山旅初日だというのに買って3人で山分けした。まったく物価の安さに舌を巻くばかりだ。

001 【第1日目】車窓から見る八海山。
002 小出駅から越後駒ヶ岳を望む。
005 大白川駅へ向かう列車。
009 と云っても地元の人は普通に線路を横断。
011 左からは入れません。
016 愛嬌がある牛。
017 ちゃんとした標識があった。
018 この先にまた鳥居が。
019 オオイワカガミ。
025 下権現堂山。
030 一番左は荒沢岳。
031 左端は浅草岳が見える。
033 いつまでも見ていられる。
035 タムシバと田んぼ。
036 ムラサキヤシオと下権現堂山。
045 タムシバには若葉が良く似合う。
050 芽吹きとムラサキヤシオ。
052 遠くは魚沼丘陵あたり。
058 径が傾斜していて歩き難い。
059 オオカメノキ。
060 どうやらあれが山頂らしい。
065 山頂から見る越後三山。
066 山頂直下に雪。
067 下権現堂山に向かって下る。
069 これなんでしたっけ?
070 ショウジョウバカマ。
073 オオバキスミレ。
075 下山コースは眺めが良い。
076 目立つのは守門岳。
078 キクザキイチゲ。
080 雪田を下る。
083 スミレ。
084 余りにも車が停まっていないので休業中かと心配した。
085 ありがたいことに食事処もやっていた。
086 「食と生ビール祭り」やっていた。
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087 生ビール350円、山菜4種400円。
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088 冬菜とホタルイカ。
089 海老素揚げ。
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090 お疲れ様でした。
091 雪下人参6本でなんと税込180円。
092 3人でシェアしました。

今週は、足尾の山に登ってアカヤシオを愛でて、温泉に入ってトロッコ列車に乗ろうという盛りだくさんプラン。何度もトロッコ列車には乗ったし、アカヤシオは眺めてきたつもりだが、やはり1年に1回ぐらいはわたらせ渓谷鐵道に乗ってみたくなる。かつて国鉄の足尾線だった頃には1回も来たことが無かったのに(C12が走っていた頃に来てみたかった。復活させないかな)、不思議な縁だ。
今回の山は備前楯山。2年前、赤倉山から下りてきた際、目の前に見えた赤茶けた山だ。足尾の山は鉱毒の影響から復活しつつあるが、備前楯山は一番遅れているように感じられる。一般的には舟石峠からの往復だろうが(実際、山頂付近で出会った人の殆どはそのようだった)、それでは面白くないので我々は通洞駅前からバリエーションの南尾根(有越山コース)を辿ることにした(山行記録はこちら)。
通洞駅から山頂までは4kmぐらいしかないのに、歩いてみると3時間半も掛かった。思ったよりもアップダウンがあったようだ。今年は春の到来が早かったのでアカヤシオは遅いかと思ったが、山頂付近では満開状態だったし、花付きもまずまずだった。
舟石峠に向かって下り始めて突然、菊丸が両脚こむら返りで動けず、腰を下ろすこともままならず。水分不足なのか、ミネラル不足なのか。前触れなくやって来るのが怖いな。ここが断崖絶壁の上じゃなくて良かったですよ。ともあれ時間が解決してくれるのを待つ。通りすがり中高年ハイカー(主におばさん)が奇異な目を向けたり、ちょっかいを出したりするのが鬱陶しい。
果たして(芍薬甘草湯が効いたのか?、塩が効いたのか?)歩けるようになって、なんとか舟石峠に着くと、呼んであった足尾観光タクシーは見当たらず。電話が通じない(圏外)ので定かではないが、恐らく待ちきれずに帰った様子。台数が少ない(2台?)のでさもありなん。覚悟して銀山平目指して歩き始めるが、もうトロッコ列車には間に合わないし、その先も足尾観光タクシーを当てにできないとなると、更に原向駅まで凡そ6km歩かねばならない。だったらいっそ日光のタクシーを呼ぶか、となって東武日光駅へ戻ることにした。
銀山平のかじか荘に着いたら、タクシーを待つ間、ビールを呑むことができた。身体が渇いたせいか、一気に吞み干し、2本目をどうするか、悩んだ。

02 トイレタイム。
04 わたらせ渓谷鉄道の踏切。
13 松ぼっくりだらけ。
20 左から巻く。
23 巻きながら緩く登る。
24 足尾銅山の遺物。
25 索道の跡か。
28 眼下には簀子橋堆積場が見える。
32 ここにもコンクリート構造物。
42 アカヤシオ(8)
43 アカヤシオ(9)
47 アカヤシオ(13)
50 ちょっと慎重になる下り。
54 松混じりの岩稜帯。
57 あれが備前楯山らしい。
60 黒岩から見る男体山。
61 アカヤシオ(17)
65 もう山頂は目の前。
68 男体山とアカヤシオ。
69 波平ピークと中倉山との間に「孤高のブナ」。
71 芽吹きの落葉松林。
73 マルバスミレ、かな。
74 ヒトリシズカ。
75 かじか荘に到着。
75 風呂には入れませんが・・・
76 お疲れ様でした。
77 タクシーを待つ。

「吉田屋」で五臓六腑が満たされたところで、女子連から風呂に入りたいとの声が出た。さっき彌彦神社から歩いてくる際に、風呂に入れるとの看板を見たとのこと。それは気が付かなかった(その頃小生の頭の中は「弥彦ブリューイング」で一杯だったと思われる)。
事前にリサーチした範囲では、日帰り温泉施設は徒歩圏内には無さそうだったし、旅館の立ち寄り湯もこのご時世だから、ホームページの記述と実際では違っている可能性があるので頼りにしていなかった。論より証拠、看板が出ていれば間違いなかろうと、また来た道を戻ることにした。
なおちゃんが「ここ、ここ」と云ったところには、「たぬき風呂」と看板が出ていた。自然木を使った立派な門を潜るようになっていて、ここが昔ながらの旅館であることを思わせる(この時点でこの旅館の名前が分からなかったが、後でビールグラスのコースターを見て「冥加屋」だと知った)。
宿のホームページを見ると宿開業以来300年以上、現在の当主は75代目とのことで吃驚。300年で75代は流石にちょっと短すぎるので、宿稼業以前から何かやっていたものと思われるが、何れにせよ75代目となると紀元前まで遡れそうだ。だってあの五鬼助さんだって61代目だったし(でも上には上がいて、出雲大社宮司(出雲国造)の千家氏は現在84代目、初代はなんと天照大神の子だというから魂消る)。
そのご当主に700円を支払ってから、3階にある展望風呂へ。時間のせいもあるが館内に人気は全くない。早速浴室に入ると、やけに眺めが良くて日当たりも良い。他に高い建物があれば、逆に覗かれる心配も有りそうだが、とても気持ち良く入れる。
風呂上りにはまた1階へ戻り、玄関の脇にあった喫茶コーナーで、女将からビールをいただきまったりした。

167 ここで汗を流した。
168 たぬき風呂だそうな。
169 湯船から外が良く見える。
170 湯上りビール。
171 コースターにもたぬき。
172 のんびりまったりしました。

毎年この時期は新潟の残雪の山に登ることにしていて、今回は二王子岳。公共交通機関利用派としては上越新幹線を駆使して漸くその日のうちに登ることが出来る、下越の山だ(山行記録はこちら)。
結果だけ云えば、二王子神社から山頂まで休憩時間を含め7時間15分で往復、首尾よく登頂が出来たのだったが、下っている最中に、様々な条件が揃っていたからこそ登れたのだと気が付いた。その登頂成功の要因は少なくとも5つあって、①数日前に二王子神社まで除雪され車が入れるようになっていたこと、②前日に少々天気が悪かったにもかかわらず、雪が殆ど積もらなかったこと(山頂直下だけ僅かに冠雪)、③当日、全員の体調が良かったこと、④当日の天気が良かったこと、⑤当日の気温がそれ程上がらず、雪が腐らなかったこと、だ。
②から④まではいつでも通用する条件だが、①の除雪が未だだったら往復でプラス2時間掛かった筈で、途中で時間切れとなった可能性が高いし、⑤の天気が良すぎて気温が高かったら、がぼりまくって体力を消耗し、やはり時間切れになった可能性が高い。何れにせよ残雪期登山は微妙な条件で成り立っている。それだけに条件が整ったときの幸福度はひとしお、まして今回の山からは飯豊連峰も、新潟平野も日本海も良く見えたので、今年の運気は使い果たしてしまったのか心配だ。
ベースとなった宿は、新発田駅から数分のところにある、升潟という池の畔に建つ「ますがた荘」。華美ではないが、素朴で明るくて清潔な内装で居心地が良い。料理もなかなか凝っていて、以前泊まったことがある上下浜の「わすけ」と同じ匂いがする。個人的に新潟の宿って何となくこんな感じだ(多少妄想)。山から戻った時間が遅かったので、余りのんびり出来なかったのは少々残念だった。

001 【第1日目】二王子神社奥宮まで宿の車で送ってもらう。
006 やっと一合目。10時15分
011 沢沿いの径。
018 立派な避難小屋もある。
022 ちょっとなだらかなところ。
025 ブナの根開き地帯。
027 振り返るとこんな眺め。
029 越後の山の春。
031 ここが五合目。12時14分
035 シリセードができそうな傾斜。
037 はい、ちょっとストップ。
044 この辺りで標高1,200m。13時01分
047 亀裂の右を通過。
050 風が出てきた。
058 阿賀野川の河口が見えている。
062 バーンと飯豊連峰が見える。
063 山頂付近は平ら。
066 かまぼこ型避難小屋。
069 鐘は無い。
071 はいOK。
086 段々雲が無くなってきた。
087 新潟平野は広い。
088 壁でシリセード。
089 標高1,200m付近で小休止。
094 3本目は長いので気持ちイイ。
095 再びブナの根開け。
100 木の上にニホンザル。
103 車の中から二王子岳を振り返る。
104 今宵の宿「ますがた荘」の窓からの眺め。
105 男部屋。
106 湯上りビール。
107 夕食。
108 登頂を祝して。
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109 【第2日目】朝の升潟。
110 新発田駅まで送ってもらう。

武田神社を起点として、鹿穴から大蔵経寺山まで歩いてみることにした(山行記録はこちら)。低山を歩くのは秋から春までと考えているので、個人的にはまだシーズン。そして勿論、この季節の甲府盆地は桃の花が狙いの一つだけど、今年は何かと花の開花が早いので、当たれば儲けもの、博打ぐらいの気持ちでいた。甲府の北山は、先月、興因寺山から淡雪山、白山を経て湯村山まで歩いて以来となる。
その時は氷雨が降ってまだ春は遠いという感じで、眺めも大して得られなかったが、それから3週間しか経っていない今回は、様々な花が突然咲いたという印象、一気に春になった。特にアオダモはこれまでに見たことが無いほど(忘れただけか?)咲いていて、ちょっと驚いた。
山中では殆どハイカーと出会わなかったが、登り口にある金比羅神社には中高年の集団が掃除に来ていた。今日が祭らしい。時節柄、集まりが憚れる世の中だが、地元の祭礼は不要不急には当たらないのだろう。海から遠い金比羅神社には、商売や雨乞としてのご利益が求められている筈だ。
メインコースから鹿穴に分かれるところにある道標には熊に齧られた跡があり、しかもささくれた板に熊の毛が引っ掛かっていた。何故、熊はこれほど道標に過剰反応するのかと不思議に思っていたが、環境省自然観光局がまとめた「クマ類の出没対応マニュアル」に、「クマはテルペン類を好む」との記述があり、なるほど、だからテルペン類を含有する油性ペイントに反応するのかと判った。熊に齧られたくなかったら、油性は止めて水性にした方が良さそうだ。
最後のピーク、大蔵経寺山の展望台から甲府盆地を見下ろすと、薄っすらと桃色掛かっている。あとは下るだけ、再び満開のアオダモを見ながら街中にある「かんぽの宿石和」へと向かう。ここはウィズコロナ時代になって初めて。風呂場は変わりなかったが、喫茶コーナーは無くなっていたのでビールを呑むことが出来ず、皆が揃うまで落ち着かない時間を過ごした。

02 この階段の上は溜池。
03 甲府の街を振り返る。
04 尾根の末端。
05 アオダモの花。今日の主役。
09 この時期、何処の山でもこう?それともこの山だけ?
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11 こんなところがあった。
15 まあ歩き易い。
17 今日もフデリンドウ。
18 時折、木々の間に甲府盆地。
19 大日影山に到着。
21 スミレ。
23 クロモジ。
25 東山に着いた。緯度経度まで表示有。
26 こんな手製標識があった。
27 アカマツ林。
32 こちらはダンコウバイ。
33 ここまで九十九折。
39 ここにも緯度経度の標識。
40 彼方は鬼山。
41 何でクマは標識を目の敵にするのだろうか。
42 クマの毛!?
43 アカマツが多い。
44 何故かミツバツツジはとても少ない。
45 マメザクラ。
48 手書き標識。
51 ここだけヒトリシズカの集団。
52 ここも眺めが良い。
55 ここは山頂らしくない。
58 まさに花盛り。
61 展望台からの眺め。
62 残念ながら富士山は見えない。
67 ここで汗を流した。
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「鹿沢温泉紅葉館」に泊まった翌日は100%観光。先ずは「海野宿」へタクシーで向かう。「海野宿」は北国街道(信濃追分から直江津までを結ぶむかし道)の宿場町で、東西600mに100軒ほどの風情ある町屋が並んでいる。立派な「うだつ」を持った建物が多い。きっと江戸時代、加賀の殿様もここの本陣に泊まったことがあるに違いない。こんなところにこんな景観があるんだ、とちょっと驚くインスタ映えする場所である。でもまだ朝のせいか、観光客は殆どいなかった(店も殆ど閉まっている)。宿場の東端にある白鳥神社では、昔からの風習なのか、今春、小学生になる児童を集めてお祝いをやっていた。
その後、再びタクシー(運転手も同じ)を呼んで、日帰り温泉へ行くことにした。そのタクシー運転手が懇切丁寧に教えてくれたこと。東御市のうち、千曲川の南側には2つの台地があって、ひとつが八重原、その東隣が御牧原という名前が付いている。この2つの台地には川が無いため、農業に適していなくて貧しい寒村だったのが、そのうち溜池を造るようになり、やがて稲作も出来るようになって潤ったとのこと。これから向かう八重原温泉はそんな八重原にあり、目の前にも大きな溜池がありますと。確かに地図を見るとその通り、2つの台地には夥しい数の溜池がある。普段利用する、しなの鉄道や北陸新幹線からは見えないので、断崖の上にそのような景観が広がっているとは思いもよらない。
八重原温泉へ着くと、まだ開館時間よりちょっと早かったので、庭で暫し待つ。千曲川を隔てて浅間山連峰の眺めが良い。今日は生憎低い雲が垂れ込めていて山の頂きは見えないが、なかなか壮大な景色である。風呂場からの眺めも同様に良いが、手前にポツンポツンとある民家も良く見えるので、たぶん向こう側からも、風呂に入っている我々が良く見えているだろうと思う。

67 白鳥神社。
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69 海野宿にやってきた。
70 約500mに数十軒の古民家が並んでいる。
71 立派な「うだつ」。
72 こちらも。
73 「日本の道100選」にも選ばれている。
74 日曜日だけれど観光客はほとんどいない。
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75 格子窓に見とれる。
76 時間が早いので開いている店はない。
77 一茶がここで詠んだらしい。
78 長短2本ずつが交互に並んだのは「海野格子」。
79 このちゃんは見学中。
80 「なかだち」って読めないな。
81 地元高校生のひな人形展示を見学。
90 アートヴィレッジ明神館の外観。
83 日帰り温泉のアートヴィレッジ明神館の入口。
84 開館時間にはちょっと早い。
85 今日も意外にいい天気。正面は浅間連山。
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86 風呂場からの眺めもこんな感じだった。
87 明神館の食事処で乾杯。
88 やえはら御膳。「やえはら」とはこの台地の地名。
89 吞んだ日本酒はこれ。
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コロナ禍のせいで今シーズンは殆どスノーシューを履いていなかったので、これが最後のチャンスだろうと勇んで鹿沢温泉へやってきた。本来は吾妻線の万座鹿沢口駅からアプローチするのが常套。しかし今回は、時間を金で買って、しなの鉄道の滋野駅からタクシーを飛ばすことにした。どんよりとした空模様だった。
個人的に今回の宿「紅葉館」は2回目なのだが、その時に泊まったはずの旧館の向かいにモダンな木造新館が出来ていた。かつて西堀栄三郎たちが天下国家を論じていた(?)頃の鄙びた感は失われたものの、また新たな世界の「紅葉館」が生まれていたと知る。
荷物を置かせてほしいと頼むと、部屋に案内された。もう泊まる部屋に入れるということだ。余計な荷物をリュックサックから取り出し、雪用のウェアに着替え、スノーシューとストックを持って出発。所々、雪が融けてしまったところもあるが、標高1,600mを過ぎると一面の雪。やや緩んでいるので、キックステップで登れるような状態ではない。1,660m付近でスノーシューを履き、夏道を離れて角間山を直登するコースをとる。笹藪を避けながら登り、山頂直下の急登をクリアすればもう山頂だった。暫くするうちに青空が見え始め、湯ノ丸山や篭ノ登山、水ノ登山などが見えてきた。
思いの外早く山頂に着いてしまったので、復路は角間峠を経由してゆっくりと下った。それでも宿に戻ったのは午後2時前。さっそく風呂へ。ここの浴室は超レトロ、昔のままだった。誰もいない湯船にゆったり浸かる。湯上りは部屋に戻って、ビールを呑みながらつまみを突く。
陽が暮れてくると夕食の時間。食堂へ行くと、我々以外にもう一組だけだった。吹き抜けになっていて解放感あり、なかなかいい気分。BGMはジャズ。レコード盤を替えに来るのは大旦那、料理番は若旦那、給仕は大女将だった(女将はお子さんの相手で忙しそうだった)。雰囲気も料理も兎に角、申し分なかった。

05 雪はだいぶ少ない感じ。
08 この辺りから夏道を外れて登る。
11 藪漕ぎにならないように。
13 稜線に出た。
17 ハイ、ポーズ。
31 こんなに晴れるなんて望外だ。
32 浅間連山パノラマ。
36 スノーシューが役立っていてうれしい。
42 日差しが強くなったので・・・
47 一本白樺。
48 もう下ってしまうのは惜しい。
50 フクジュソウ。
51 紅葉館に戻った。
52 一人じゃ勿体ないほどゆったり。
53 風呂は離れ。
54 湯はうすにごり。
56 湯船と打たせ湯は源泉が違っていた。
57 湯上りビール。
58 今宵の献立。
59 燗酒で乾杯。
60 BGMはベニーグッドマン。
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61 【第2日目】こちらは女風呂。
62 西堀栄三郎の直筆。
63 先々代の似顔絵。
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64 朝食のメインは湯豆腐。
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66 宿の大女将と。

甲府北山に登ってみて「甲府名山」というのが選定されていることを初めて知った。その流れで、甲府市の行政区が南北にやたらに長くて、山梨県を縦断していると気が付いた。なにしろ「甲府名山」の最北にある朝日岳(標高2,579m)から最南端の五湖山(三方分山の東にある山、標高1,340m)まで直線距離で40km以上あるのに、東西は狭いところではほんの2kmくらいしかないのだ(でも上には上があり、静岡市は北端の間ノ岳から安倍川の河口まで約80km、それこそ静岡県を分断している)。
今回の山行はその「甲府名山」25座のうち半分近くが含まれている甲府北山が目的。標高が低いせいで夏は登る気がしない山域なので、今が最適だと思っていたが生憎の雨が一日中降った。富士山も見えず仕舞だったが、おかげで静かな山旅を楽しんだ。
今回は「甲府名山」のうち興因寺山と、淡雪山、八王子山、湯村山の4座を稼いだ(山行記録はこちら)。淡雪山と八王子山辺りの白砂青松が特徴的で、独特の風情がある。この界隈は武田の杜と呼ばれていることも知った。
湯村山からは湯村温泉街へ下り、立ち寄り湯を探す。とりあえずの目当ては旅館「弘法湯」だったが、出てきた女将さんから、濡れそぼって寒そうな我々の姿を見たせいか「うちは湯がぬるいので」他を当たったほうがいいと丁重に断られた。まさかそんな断られ方をするとは思っていなかった。ともあれ、あそこだったらやっている筈と紹介してくれた「甲府記念日ホテル」へ向かう。
入ってみると巨大温泉ホテル、たぶん湯村温泉では最大規模だろう。入浴料は1,500円もしたが、春雨とはいえ、さすがに身体が冷えて強張っていたのか、湯船に浸かると身体が蕩けるようで気持ちが良かった。
それにしてもなんで「記念日」などという文言をホテル名にしたのだろう。たしかに世界には"**** memorial hotel"などと名前が付いたホテルがあるようだが、日本では見掛けない。意外性を狙ったネーミングだろうか。それとも「サラダ記念日」の影響?

01 今日はスタートから雨。
06 興因寺山への登り。
08 興因寺山。甲府名山ってなに?
10 次の山までは穏やかな尾根道。
11 アブラチャンが咲いていた。
15 ここは眺めが無い。
17 露岩帯は瘦せている。
19 ここが一番いい感じ。
21 ここでちょっともぐもぐタイム。
32 馬頭観音。
37 ここから先はすっかり整備された遊歩道。
39 雨の日はあずまやが有り難い。
41 眼下は千代田湖。
45 ここも甲府名山。
49 法泉寺山を通過。
51 なにかと変化に富んだコースだと実感。
53 甲府の市街が見えてきた。
54 湯村山に到着。
57 てるてる坊主の力及ばず、一日中雨。
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今回のメインディッシュ、大晦日の晩を過ごす宿は、東武日光駅から歩いて10分ほどのところにあるオーベルジュ「ブエナビスタ」。いわゆる「泊まれるフレンチレストラン」というやつ。若いご夫婦がやっていて、オープンしてからまだ半年も経っていない、まだピカピカな宿だ。
オーベルジュと云えども、部屋は十分な大きさである。風呂は部屋には無いが、時間予約できるので特に不自由さは無い(何回も入る訳にはいかないようだが)。窓からは大谷川越しに男体山が望めるロケーションである(「ブエナビスタ」とはスペイン語で「絶景」という意味らしいが、それほどではないと思う)。
1日限定5組が原則らしいがウィズコロナ時代なので、ダイニングルームにはテーブルが3つだけだった。
夕食は18時30分から。BGMはJAZZ。コースはかぼちゃスープから始まり、オードブルが冷製と温製の2種類、それに魚料理と肉料理、デザートが付いてくるのでボリューム満点、食べ切れるか心配だったが何とかなった。フルコースを喰うのはホントに久しぶり。せっかく栃木に来たのだから、ワインはココファームの「農民ロッソ」にしてみた。
冷製オードブルは日光サーモンのマリネとペルー風サラダ、温製オードブルはフォアグラのポワレ。これだけでかなりワインがイケる。魚料理はブリのポワレ。これを根セロリのビュレと共に喰う。根セロリは我々庶民の食卓には出て来ないシロモノ。でも米テキサスのスーパーには普通に山積みされていた。やっぱり欧米は違う。メインは鴨のロースト。これを山椒ソースでいただく。デザートはほぼ惰性でクリア。
HPによれば、シェフはブラジルのリオデジャネイロとペルーの首都リマで、暫く公邸料理人だったとのこと。何となく納得。ともかく質量ともに満腹で満足。全般的に塩味は極力抑えめな感じで、素材の味を重視している。おかげで日頃よりも塩分コントロールが出来た感じで良かった。ベッドに入りながら紅白を見ていたら忽ち眠りに落ちた。

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首尾良く「天丸」でビールを呷った後は上毛高原駅に戻り、今宵の宿「汪仙閣」の送迎バスに乗り込む。これで山登りモードは終了し、お殿様、お姫様の扱いを受けることになる(それほどでもない)。上毛高原駅や途中、寄っていく水上駅(いまどき、特急すら停まらない水上駅まで電車で来る輩がいるのかと思っていたが、実際、乗ってきた客がいた)辺りはまだ豪雪地の雰囲気でもないけれど、宿に近づくにつれ急に積雪が増え、宝川温泉界隈まで来るとまさにドカ雪が降ったことを実感させる風景。
玄関を潜ると先ず検温。何故か小生だけは(さっきの酒のせいか?)何度測っても37度以上あるとの表示、まじ?結局、入館拒否までされなかったが宿の係員に、具合が悪くなったら直ぐに知らせて欲しい、と懇願された。でもそんなことは直ぐ忘れた。フロントにはかなりの客が群がり、受付順番待ち状態。客層は概ね我々よりもはるかに若い(特にカップルが多い)感じ。これもご時世か。
漸く部屋に入ったら、早速風呂だ。露天風呂は洗い場が無いとのこと、先ずは内湯でさっぱりしてから、吊橋を渡って露天風呂へ。いくつかあるらしいが雪が凄くてよく判らず、皆が入っていく方向へ付いて行く。以前は違ったようだが、この頃は男女とも湯浴み着がマスト。服を着て風呂に入るのは個人的には初めて。何となく風呂に入ったような感じではない。湯も個人的にはぬるめで、一度入るとなかなか出る勇気が湧かない。
そうこうしているうちにとっぷりと日が暮れ、いつの間にかライトアップされた雪景色。本館へ戻る雪径はだいぶ雰囲気が良くなった。
部屋に戻って、缶ビールを呑んだらもう夕食タイム。食事処には他に何組かの客(皆、家族連れかカップルなので、我々のような集団は異質)が来るので、街のレストランと大差はないなと感じる。腹がくちたら皆、忽ち眠くなる。生活習慣病対策として「夕食を食べたら最低2時間は眠らないように」と俗に云われるが抗えず、8時にならないうちに全員就寝となった。

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「日航亭 大湯」で温まった(そして休憩室で、我々だけちょっと盛り上がった)後は、熱海駅まで徒歩圏内なのでぶらりと温泉街そぞろ歩き。途中、創建は西暦749年(ほんとかな?)だという湯前(ゆぜん)神社があったり、初代英国駐日大使オールコックの愛犬が火傷して死んだ大湯の間欠泉があったり(今は自噴していない)と、それなりに観光名所がある。でもその観光客はというと、我々だけ。
じゃあ観光客は何処にいるかというと、熱海駅前の土産物店街に老若男女がウジャウジャだ。花より団子なのである。今がウィズコロナ時代であることを忘れそうになる。我々は立ち止まらずに、一気に通り抜ける。熱海駅からは各駅停車に乗って2つ目、真鶴駅で下車。迎えに来てくれた宿のご主人の車に乗って、今宵の宿「民宿・峰」へ。宿の手前の坂がもの凄く急なので、宿が高台にあると分かる。
宿に入ったら、お決まり通りにアルコール除菌と検温、部屋割りと注意事項等の説明、GOTOトラベルの説明と手続き(これはなおちゃん)など。2階の部屋の窓の外はもう黄昏時だが、半島の付け根が見え、その左手には今日登ってきた尾根と岩戸山、遠くに十国峠レストハウスらしき構造物まで見える。
部屋でのんびりしないうちにもう夕食時。1階の食事処へ移動。座ると間もなく、でーんと刺身盛り合わせが出てくる。6人で食べられるかな、と思うぐらいの量だ(ったが、意外ときれいに完食)。ビールは既に何杯も呑んでいるので、ここは日本酒でスタート。出てきたのは、やはり神奈川の地酒「弘法山」。
毎度、山の中へ行く関係上、山の幸を喰うことが多いため、毎年1回の海の幸付き忘年山行は楽しみになる。とにかく海の幸の方が美味いし、見た目も華やか。齋藤道三や武田信玄が、海に面した(尾張とか駿河とかの)国を羨ましく思ったのは頷ける。

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小河内ダム脇の「水と緑のふれあい館」内にあるパノラマレストラン「かたくりの花」でビールを呑んだ後、奥多摩湖BSに戻ると結構な行列が出来ていた。我々は(リュックサックが順番待ちしていて)先頭。バスはまだもう少し先かなと思っていたら、直ぐにやって来た。しかも空車。奥多摩湖BS始発の臨時バスのようだった。
バスに乗ったら、さて次は風呂だ。相変わらず「玉翠荘」は日帰り入浴を止めている。もう日帰り客を見放したのかも知れない。「観光荘」も同様に日帰り入浴を休止しているので、もはや奥多摩駅界隈で汗を流せるのは実質的に「もえぎの湯」と「麻葉の湯」の二択になっている。
このご時世、奥多摩に登るハイカーは何人ぐらいいるのか分からないが、皆、そろって「もえぎの湯」に入るとも思えない。だいたい、「もえぎの湯」は真冬でなければ若者キャンパーの御用達となってしまっている。大半は難民の如く、風呂も浴びずに帰るのかも知れない。
何れにしてもこのウィズコロナ時代に、若者達の密度が濃い「もえぎの湯」に入るなんて気はサラサラ起こらないので、「麻葉の湯」は必然だ。このまま帰ると云う菊丸と別れ、南二丁目BSで下車。赤指山の帰りに寄って以来だからつい1ヶ月ぶり。今後も当分、お世話になりそうだ。
前回同様、フロントで1,000円を支払った後、ここではビールが呑めないので(別棟に「土蔵食亭」なる食事処があるが、残念ながら15時で閉店)、アヒルちゃんに待ち合わせ場所は「駅の2階」だと伝えてから階段を下りて地下階へ。母屋を出たら目の前が別棟の湯屋。女湯はそのまま、男湯は更に石段を下りて入る。誰もいなかったが、後から一人だけ入れ替わりに入ってきた。大きな窓から庭を眺められる湯船は相変わらず気持ちが良い。多摩川はすぐ下にある筈だが良く見えない。
程良く温まったらまたフロント階へ戻る。身体が冷えないうちに、早いとこ駅に向かわないと思いながら、そのまま靴を履いて外に出ると、外はもう陽が陰っていた。奥多摩駅周辺の昼間は短い。

62 今日もここで汗を流す。
63 もう奥多摩の街には日が暮れた。

道志は今も昔も、やって来るには東は津久井湖近くの三ヶ木、西は山中湖の平野が主たる玄関口。都留や藤野から通じる道もあるが何方もワインディングロードなので、通行量は大分少ない。従って道志村のキャンプ場へやって来る大抵の観光客は、三ヶ木か平野の何方かからやって来る。
我々山ヤは、どちらでも無いアプローチの仕方が可能なので、今回は上野原から無生野までバスに乗り、サンショ平、朝日山を越えて道志村に入ることにしたが、それだけだと物足りないので菜畑山まで足を延ばした。その途中にある本坂峠は、かつて道志口峠と呼ばれていたように、ここを越えると朝日曽雌の集落、その先は大旅川、朝日川、桂川沿いに甲州街道の大月へ抜けられるので、いにしえの交易ルートだった筈で、そんな峠を訪ねられたのは良かった。道志側は踏み跡があったが、朝日曽雌側は良く分からなかった。
道志で泊まったのは「北の勢堂」という、ちょっと変わった名前の民宿。母屋と離れに分かれていて、築百年以上経っている離れはかなり広いが、今日は我々だけの貸切だという。部屋数は5つぐらいあり、そのうちの一つに囲炉裏が切ってある。そこが夕食部屋だった。
「道志の湯」から戻ってみると、囲炉裏には炭火が入り、串に刺さった岩魚が並んでいた。本日のメインディッシュは猪鍋。青菜はクレソンだった。道志川に自生しているのだろう(調べると道志村が全国一の出荷量らしい!)。他にも鹿刺しやいくつかの小鉢もあって豪勢な夕食だった。酒は竹筒で御燗。囲炉裏を囲んだ夕食は、それだけでもひと味違う。くまちゃんのオーレン小屋番体験談に花が咲いた。
朝は結構冷えた。こまめなWoodyさんが、囲炉裏の灰に埋めておいた種火を起こしてくれる。囲炉裏の周りに昨日の夕食後の食器がそのままなのは、その晩に片づけることはしない(客に食事を急がせない)という宿のポリシー。朝食の時間も客の要望次第だという。実に顧客目線なもてなしだ。朝食は囲炉裏部屋ではなく、ストーブがガンガン焚かれた別室だった。
ふと、部屋からガラス引き戸越しに外を眺めようとすると、冷たい風を感じる。よく見れば、柱が歪んでいるのか、引き戸の建て付けが悪いのか分からないが、下がピシッと閉まっているのに、上は数センチの隙間。なるほどこれじゃあ、朝は冷える筈だと、Woodyさんと二人で吃驚した。

075 民宿・北の勢堂に到着。16時12分
076 今日の別館は我々の貸切。
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077 玄関の奥は朝食の間。
078 男子組の寝室。
079 囲炉裏の間は夕食処。
082 囲炉裏に炭が入って岩魚が焼かれていた。
083 青竹徳利もやってきた。
084 囲炉裏があればみんな集まる。
085 猪鍋はクレソン入り。
086 道志産の鹿刺し。
087 夕食には野菜が豊富。
088 猪肉も道志産。
089 燗酒をいただく。
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090 オーレン小屋談義。
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091 【第2日目】朝食。
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092 古民家宿を堪能した。

2日目の山は、田代山&帝釈山。小生が高校山岳部に入った際、この山が新人歓迎山行直後の6月の山行計画に入っていたのに、1年生はまだ無理だから(あるいは勿体ない?)と2年生だけで行ってしまい、我々1年ぼーずは居残り。その時の悔しい思いでそれ以来、いつかは行こうと思い続けていたのが、いつの間にか40有余年が経ってしまった。それだけに、この山には特別な思い入れがある。
宿から登山口まではまたタクシー。運転手に、戻ってくる凡その時間を伝えようとすると、「登山口でずっと待ってますから大丈夫」だと。えー!そんな丸1日貸切でいいんですか?と云えば、この登山口までの道(つまり悪路)を1日に2往復もしたくないんです、との返事。まあ確かにタクシーは基本的に歩合制なので、タクシー会社はその判断に関知しないのかも知れないが、何だか猛烈に申し訳ない。出来るだけ早く戻ろう、という気が自然と起きる。
とは云うもののいざ、田代山の、山頂に広がる異次元的とも云える平坦な大湿原と、帝釈山からの、見たことが無い南会津の茫洋とした山々の眺めに出会うと、時間的な観念はきれいに吹き飛び、いつまでもここに居たいと、結果的にはほぼコースタイム通りで登山口へ戻ってきた。
もう後は帰るだけ。何処で汗を流そうかと思い悩む。湯ノ花温泉の何れかの共同浴場に入ろうかと考えてみたものの、やはりタクシーを何度も使うのは面倒だし時間もかかるので、会津高原尾瀬口駅に近い「夢の湯」が良かろうと、そこへ向かう。
玄関で靴を脱いで上がると、受付には誰もいない。声を掛けると、奥から中学生(高校生?)のような女の子が出てきた。留守番を仰せつかっているらしいが、どうやらテレビゲームに夢中だったようだ。500円を支払って地下階の風呂場へ。なかなかいい湯だったが、実は山中で足を捻挫したので湯舟には浸からなかった。風呂から上がってみると、休憩室は使えない様子。仕方なく、自販機でビールを買い、玄関脇のソファーでグビッとやった(山行記録はこちら)。

072 ここが登山口。8時19分。

074 冷え込んだので霜が降りている。

075 径は良く整備されている。

076 日影はじっとしているとちょっと寒い。

081 木道になった。

084 まさに小さい田代。

086 この辺りはすっかり秋も終わり。

088 あちらは関東平野。目を凝らすと筑波山が見える。

089 今日も裾野が美しい高原山。

090 田代山湿原はもうすぐ。

094 湿原の向こうに会津駒ヶ岳。

095 気持ちが良い湿原歩き。

099 奥の右端は三岩岳か。

102 山上の地平線。

104 あれは吾妻連峰かと思ったが・・・

108 木々の間から帝釈山

110 ちょっとだけ下り。

111 北側はややスリッピーなので、今シーズン初チェーンスパイク。

113 梯子だってある。

114 帝釈山、到着。

120 こちらが北。遠く飯豊連峰を望む。

121 こちらが東。ちょっと右に高原山。

122 燧ヶ岳が端正。

125 我々だけの山頂。

126 うるうると続く山なみ。

127 何度も撮ってしまう高原山。

128 帝釈山方向から見ると、田代山に大湿原があるようには見えない。

131 ずっと飛んで「夢の湯」に立ち寄り。

132 この「おもしろ実験」が興味深い。

133 玄関スペースで湯上りビール。

134 外は肌寒い。

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