山から下りたらこんな店 - 副隊長の自己満足

山から下りて、ひと風呂浴びてから一杯やるのは醍醐味の一つ。しかし、最近はどっちが主なのか、判らなくなってきた・・・。

2021年04月

真鶴駅でそのまま帰る組と、何処かの温泉に浸かってから帰りたい組とに分かれ、さして汗を掻いていない小生も後者に加わってとりあえず駅を出る。この界隈で最寄りの湯といえば、先ず箱根湯本が頭に浮かぶが、そう云えばもっと近くに温泉があったっけと思い出す。
くまちゃんは「小田原温泉八里」は初めてだと云うので、久しぶりに覗いてみようかとなった。もうかれこれ5年半ぶり(前回は2015年4月4日)。その時の印象がかなり強かったので、その後二の足を踏んでしまったのか、いつの間にかずいぶん経ってしまった。
真鶴駅前からタクシー(客待ちのタクシーが居らず電話で呼んだ)に乗り、「小田原温泉八里」に乗り付ける。辺りは鈴廣かまぼこ関連の建物が並んだ観光地なのに、ここだけ別の空気が漂っている。佇まいは全く変わっていない。寒村の公民館のような風情がそのままなのは何やらうれしい。
中も全くそのまま、事務員のような女将さんも(たぶん)そのままだったが、何だか爽やかであっさりとした応対。口喧しい姑らしさ(我々の勝手な妄想だったか?)の片鱗も見せない。「(ここに)入ったことありますか?」との問いに「ええ」と答えたせいかも知れないが。
「待ち合わせ場所は『箱根ビール』で」と申し合わせた後、男湯へ。風呂場も全くそのまま。温泉の質はやっぱり極上。さっぱりしたあと休憩室を覗くと、女将さん曰く「(コロナ禍のせいで)今は使えないんです」と。お上のお達しでそうなっているらしく、おかげで売り上げが下がってしまって「こまっているんです」ということだ。
それはそれとして女将さん、饒舌だし物腰も柔らか。やはり5年半前とは大違いで、同じ人なのか疑わしいくらいだ(たぶん、同じ人だと思うけど)。お世話になりました、と靴箱へ向かうと呼び止められ、これあげるね、と鉄+コラーゲン入りのココア味ウェハースをくれた。小生の健康を気にしてくれたのかも知れない。

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午前中から「ケープ真鶴」でビールを呑んで良い気持ちになったあとは先ず、女子連との待ち合わせ場所である「中川一政美術館」まで引き返さなければならない。たかだか1.3kmが随分遠い。仕方ないと、重くなった足を引き摺って歩き始めると、偶々、小さなバスとすれ違った。おやっ、あれに乗れるかな?と思い、バスを追って「ケープ真鶴」へ引き返してみた。
果たして「ケープ真鶴」BSで折り返すこの路線バスは、15分ぐらい後に発車。運転手が「乗っていて良いですよ」と云いつつ、トイレに行くのかそれとも喫煙なのか「ケープ真鶴」の建物に消えた。15分じゃ歩いてもバスを待っても同じだが、既に足が重い我々は悩むこと無く後者を選ぶ。
首尾良く「中川一政美術館」で合流した後は、再び車道をてくてく宿へ戻る。最後の急坂で顎が出た。宿でリュックサックをピックアップした後、また宿の車で真鶴駅まで送ってもらう。お世話になりました。
そうこうしているうちに、そろそろ昼飯時。二日目の昼食は、今回の山行計画を立案した段階でかなりリサーチしておいたのだった。南は網代駅界隈から熱海、真鶴、小田原など選択肢は結構あるが、今回は早川漁港。目の前の漁港をウリにした店があったはずと調べると、いくつか候補が見つかった。
駅から歩いて7、8分のところにある「漁師めし食堂」へ行ってみる。過去のあいまいな記憶と比べると、この辺りは店が少なくなった気がするが、気のせいか。沼津港界隈に較べるとだいぶ規模が小さい。
「漁師めし食堂」は結構賑わっていて、我々が入った後はすぐに入店待ちの行列ができた。ラッキーだ。とりあえず生ビール(550円税別、以下同様)で乾杯。呑んでいる輩が少ないのは、たぶんマイカー利用族が多いせい。気にせず、日本酒(箱根薔薇300ml、980円)もいただく。料理は種類が豊富で、一品料理もいくつかある。地元の土岩かまぼこ(580円)も美味かったが、魚のもつ煮込み(580円)が珍味、たぶん初めてだ。

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忘年山行の二日目は真鶴半島の散歩。宿に荷物を置かせてもらって、半島の先端まで往復する。泊まった宿「民宿 峰」は半島の中ほどなので、先端までは直線距離で2kmぐらいしかない。1時間ぐらいあれば着くかな、という行程。
改めて地図を広げて見ると、何でこんなひょろっと細長い半島(って、そもそも半島と呼ぶには貧弱すぎる。せいぜい岬)が形成されたのか、と素朴な疑問が湧く。ちょっと調べてみれば、これは列状の溶岩ドームの名残りなのだそうな。つまり、半島そのものが噴火口だったというわけだ。
半島の北側に面した車道からは相模湾が望め、左手遠くには大山をはじめとする丹沢山塊や、正面には三浦半島も視認できる。「真鶴町立中川一政美術館」までは車道歩きだったが、其処から先には遊歩道があり、森の中へ分け入る。気が付くと、赤松や楠、椎など常緑樹の大木とシダ類が生い茂っていて、思った以上にワイルドな森だ。ちょっと登ると汗が出てくる。
駐車場から下る道があり、皆はそれを辿って海岸に行くらしい。下りたら登らなくてはならない。今日はなるべく汗を掻きたくない小生は、ここから単独行動。グーグルマップを見れば、「ケープ真鶴」はすぐ先なのでそのまま車道を進むことにした。
「ケープ真鶴」も「カフェ 真鶴見晴らし台」も営業開始は10時で、まだちょっと時間がある。なので、ベンチに座って暫しの読書タイム。海岸遊歩道から上がってきた女子連は「中川一政美術館」へ行くとのことで、再び別行動。やがて10時になったので、ビールが呑める「ケープ真鶴」にWoodyさんと入店。ありがたくビールを呑みながら相模湾を眺めた。
ところで、家に帰ってからふと気が付いたのだが、迂闊なことに真鶴半島の最高峰(といっても海抜96mしかない)、灯明山に登るのをすっかり忘れていた。でもまた、真鶴へ行く口実が出来た、とも気が付いた。

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「日航亭 大湯」で温まった(そして休憩室で、我々だけちょっと盛り上がった)後は、熱海駅まで徒歩圏内なのでぶらりと温泉街そぞろ歩き。途中、創建は西暦749年(ほんとかな?)だという湯前(ゆぜん)神社があったり、初代英国駐日大使オールコックの愛犬が火傷して死んだ大湯の間欠泉があったり(今は自噴していない)と、それなりに観光名所がある。でもその観光客はというと、我々だけ。
じゃあ観光客は何処にいるかというと、熱海駅前の土産物店街に老若男女がウジャウジャだ。花より団子なのである。今がウィズコロナ時代であることを忘れそうになる。我々は立ち止まらずに、一気に通り抜ける。熱海駅からは各駅停車に乗って2つ目、真鶴駅で下車。迎えに来てくれた宿のご主人の車に乗って、今宵の宿「民宿・峰」へ。宿の手前の坂がもの凄く急なので、宿が高台にあると分かる。
宿に入ったら、お決まり通りにアルコール除菌と検温、部屋割りと注意事項等の説明、GOTOトラベルの説明と手続き(これはなおちゃん)など。2階の部屋の窓の外はもう黄昏時だが、半島の付け根が見え、その左手には今日登ってきた尾根と岩戸山、遠くに十国峠レストハウスらしき構造物まで見える。
部屋でのんびりしないうちにもう夕食時。1階の食事処へ移動。座ると間もなく、でーんと刺身盛り合わせが出てくる。6人で食べられるかな、と思うぐらいの量だ(ったが、意外ときれいに完食)。ビールは既に何杯も呑んでいるので、ここは日本酒でスタート。出てきたのは、やはり神奈川の地酒「弘法山」。
毎度、山の中へ行く関係上、山の幸を喰うことが多いため、毎年1回の海の幸付き忘年山行は楽しみになる。とにかく海の幸の方が美味いし、見た目も華やか。齋藤道三や武田信玄が、海に面した(尾張とか駿河とかの)国を羨ましく思ったのは頷ける。

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当初の計画では十国峠から歩いて熱海駅まで下ろうと考えていたが、天気が天気だし、レストハウスでビールを呑んでしまうともうどうでも良くなり、迷わずケーブルカーで下ることにした。このケーブルカー、正式には「伊豆箱根鉄道十国鋼索線」という古風な名前が付いていて、開業は昭和31年(西暦1956年)というからもう66年。
車両も開業当時のままのようで、なんだか親しみが湧く。全長は僅か316m、標高差も101mしかないので、これほどガスっていても山頂駅から山麓駅がもう見えている。これだったら歩いて下りたって直ぐだが、それをわざわざ乗ることでちょっとだけ贅沢気分が味わえる。切符は何処で買うのかと思ったら、山麓駅で支払って下さいとのことだ(片道370円)。ちらりと沼津アルプスが見えた。乗客は我々以外に3組だけだった。
所要時間はたったの3分。バスの時間が中途半端なのでタクシーを呼び、その間、レストハウス内の土産物売り場をぶらぶら。ここはマイカーでやって来る観光客がそれなりに来ているが、やはり眺望が無いので皆、当てもなく店内を彷徨いている。
タクシーで山を駆け下り、細い市街路を抜けて日帰り温泉「日航亭 大湯」に横付け。車を降りると目の前にえらく渋い建物。かつては老舗旅館だったとのこと。なにせ、館内に源泉を2本もっているらしい。品が良いおばあちゃんが受付にちんまり居た。入浴料1,000円を渡し、別棟にある湯殿へ渡り廊下でいく。内湯と露天風呂があったが、空いていた前者だけに浸かる。
さっぱりしたら自販機で缶ビールを買って休憩室へ。庭に面した部屋には結構客が居て、ほぼ座卓が埋まっている状況。しかし一人客が多いせいでとても静か。なのに、我々のテーブルだけがやたらめったら煩かった。他人の目線が気になり、俺だけは別だよという顔をしたかった。

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今年も、いつの間にか12月。光陰矢の如し、という言葉はだいたい年の瀬になると思い出していたものだが、この頃は四六時中、言葉の重みを感じる。一寸の光陰軽んずべからずとは思いつつも結局は、自堕落な日々を過ごすだけ。ともあれ、忘年山行の季節だ。
このところ毎年、海の幸を求めた山行をプランしてきており、昨年は西伊豆だったので、今年は真鶴半島界隈としてみた。駿河湾に較べると、相模湾の方が東京に近いだけあって海の幸の価格も高めだが、交通は便利なので痛し痒し。
1日目は箱根南麓の山に登ることにした。そんなところに登るべき山などあるものか、と以前は思っていたが、この頃は山と名前が付けば全然OK。なんにでも喰いつくダボハゼと同じだ。湯河原を起点に岩戸山へ登り、十国峠から熱海へ下ることにした。最高点の十国峠でも標高は800m足らず。でも海岸縁から登るので、それなりに登りでがある。
12月になれば、冬型が安定し太平洋側は晴天が続くはずなのに、昨年と同様、今日も天気が悪く、朝から雨。折角眺めが良い筈のコースを選んだのに生憎だ。湯河原駅前からしっかり雨具を装着して出発。朝の湯河原は行き交う人も疎らだった。
岩戸山はハコネザサに覆われているが、晴れていれば眺めが良いらしい。今日は証拠写真を撮っただけで速攻で通過。その先にある日金山東光寺は古刹のようだが(源頼朝が崇敬した伊豆山神社の元宮だったらしい)、今はパッとしない感じ。ここもさっさとスルー。
今回は歩き終わりが一番高いところで、一番の狙いだったのは十国峠から見る富士だったが、まったくガスの中。辛うじて裾野が見えただけだ。結局、歩いている間、ほぼずっと雨。単にトレースを付けただけに終わった感じだが、こんな天気でも十国峠のレストハウス内のカフェは営業中。エライ。まったく見えない富士の方向を眺めつつ、ありがたく缶ビールを呷った(山の記録はこちら)。

003 で、雨具を付けて出発。
006 ちょっと登ると湯河原の街が見えた。
010 また眺めが良いところ。
011 真鶴半島が見えた。みかん、どうしたんですか?
014 急に山道。
019 ここからまた山道。
022 段差が鬱陶しい。
023 左に巻き気味に登る。
025 岩戸山山頂に到着。
028 少しだけ直線部分。
029 背丈を越えるハコネザサ。
031 でも道ははっきりしている。
034 東光寺に到着。
035 本堂。
037 だだっ広いところに出た。
040 まさかのずっと雨。
041 富士の裾野は見えている。
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奥多摩駅前「天益」の餃子を喰い損なった腹いせに、「餃子の満州」で餃子を喰うことになった。個人的に「餃子の満州」に入るのは実に6年ぶり、秩父の大霧山の帰りに東松山駅前店に入って以来だ(その時の山行記録はこちら)。やきとん屋の「三金」で散々呑んで喰ったはずなのに、喰い足りなかったらしい。呑んだ後に締めにラーメンやら喰うのは、若くなければメタボまっしぐらなのに。
青梅線沿線には、「餃子の満州」が福生と河辺と羽村にある。今回、福生店にしてみたのは、河辺や羽村に較べると他にも飲食店が結構あるので、万が一満席で入れなかったとしても、駅を移動せずに代替が利くと考えたからだ(でも実際、店内はガラガラで全くの杞憂だった)。
ウィズコロナ時代になってから、都心に近い街にある夜の居酒屋が憚れるようになった。若者が屯して居そうな店は特にそうだ。その流れで、青梅線でも立川以西の店を調べるようになった。結果、福生辺りは狙い目の一つ。「餃子の満州福生西口店」はこの夏頃から視野に入っていたのだった。
ちなみに、「餃子の満州」のホームページを見ると、群馬の老神温泉にある旅館(東明館)が「餃子の満州」の直営となっていて、中に「餃子の満州」の店があるという。温泉旅館に泊まって「餃子の満州」の料理を喰いたいかは、ちょっと微妙だが、目先を変えてみるのも悪くないか。
結構広い店内は、ちらほらと家族連れか仕事帰りのおやじがいる程度。店員の方が多いくらい。さっそく生ビール(462円税込、以下同様)と焼き餃子(253円)を注文(アヒルちゃんはノンアル)。その後は紹興酒(グラス286円)に切り替える。餃子は野菜多めの、いわゆる飽きの来ない、いくらでも食べられるタイプ。他に青椒肉絲(572円)と肉野菜炒め(495円)を食べた。改めて、ここは安いなあ。

64 福生の「餃子の満州」に寄った。
65 飽きのこない味。
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「麻葉の湯」を出た後は、とりあえず奥多摩駅の2階で待っていると云ったものの、念のため「天益」に電話を入れてみた。アヒルちゃんにはこの後、何を食べたいか聞いてみたら「餃子!」とのことだったためだが、電話に出た女将さんは「一足違いで満席になったの~」と。この頃、このパターンが多い(まるで蕎麦屋の出前だ)。電話を掛ける時間が毎度ちょっと遅いのだろうか。
ついでに「ビヤ・カフェ・バテレ」にも電話してみたのだがこちらはけんもほろろ、箸にも棒にも掛からぬ。ウィズコロナ時代になってからは、「天益」も「ビヤ・カフェ・バテレ」にもご無沙汰だ。ていうか、この2つの店はコロナ禍のせいで、逆に売上が伸ばしているのでは?と思ってしまう。
山にも登らず、風呂にも入らないが「天益」と「ビヤ・カフェ・バテレ」には来るという輩が増えたのか。ともあれ、捲土重来を期すにはなるべく早めに(可能ならば前日までに)予約を入れるしかない。予約がとれたら、その時間から逆算して登る山を考えるとしようか。
ともかくも、申し合わせた通りに奥多摩駅の2階にある「ビヤ・カフェ・バテレ」の支店に行ってみると、思いの外、今日は客が少なめ。テーブル席が半分埋まっているぐらい。今日は酔っぱらいおやじハイカーの集団がいなくて幸いだ。
「ビヤ・カフェ・バテレ」は来る度に、ビールの種類が変わっている。ハーフパイントで頼んだビールは苦みが強めで柑橘系の香り(聞き慣れない名前なのですぐ忘れた)。濁りも強い。まだ口を付けないうちに、アヒルちゃん到着。さて次はどうしよう、餃子だったら「餃子の満州」に行ってみようか、ということになった。次の電車を調べるともう余り時間が無い。慌ててビールを呑み干した。

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小河内ダム脇の「水と緑のふれあい館」内にあるパノラマレストラン「かたくりの花」でビールを呑んだ後、奥多摩湖BSに戻ると結構な行列が出来ていた。我々は(リュックサックが順番待ちしていて)先頭。バスはまだもう少し先かなと思っていたら、直ぐにやって来た。しかも空車。奥多摩湖BS始発の臨時バスのようだった。
バスに乗ったら、さて次は風呂だ。相変わらず「玉翠荘」は日帰り入浴を止めている。もう日帰り客を見放したのかも知れない。「観光荘」も同様に日帰り入浴を休止しているので、もはや奥多摩駅界隈で汗を流せるのは実質的に「もえぎの湯」と「麻葉の湯」の二択になっている。
このご時世、奥多摩に登るハイカーは何人ぐらいいるのか分からないが、皆、そろって「もえぎの湯」に入るとも思えない。だいたい、「もえぎの湯」は真冬でなければ若者キャンパーの御用達となってしまっている。大半は難民の如く、風呂も浴びずに帰るのかも知れない。
何れにしてもこのウィズコロナ時代に、若者達の密度が濃い「もえぎの湯」に入るなんて気はサラサラ起こらないので、「麻葉の湯」は必然だ。このまま帰ると云う菊丸と別れ、南二丁目BSで下車。赤指山の帰りに寄って以来だからつい1ヶ月ぶり。今後も当分、お世話になりそうだ。
前回同様、フロントで1,000円を支払った後、ここではビールが呑めないので(別棟に「土蔵食亭」なる食事処があるが、残念ながら15時で閉店)、アヒルちゃんに待ち合わせ場所は「駅の2階」だと伝えてから階段を下りて地下階へ。母屋を出たら目の前が別棟の湯屋。女湯はそのまま、男湯は更に石段を下りて入る。誰もいなかったが、後から一人だけ入れ替わりに入ってきた。大きな窓から庭を眺められる湯船は相変わらず気持ちが良い。多摩川はすぐ下にある筈だが良く見えない。
程良く温まったらまたフロント階へ戻る。身体が冷えないうちに、早いとこ駅に向かわないと思いながら、そのまま靴を履いて外に出ると、外はもう陽が陰っていた。奥多摩駅周辺の昼間は短い。

62 今日もここで汗を流す。
63 もう奥多摩の街には日が暮れた。

今週の山行は、コンパクトに参加者は3人。このくらいの人数だと静かだし、かつ目配りが利いて安心安全、リラックスした気持ちで登れる。目指す山は最終的には六ッ石山なのだが、そのだいぶ手前にあるイソツネ山(梅久保集落の北側にある846.1m峰)に登るのが個人的なキモである(山行記録はこちら)。
参加した菊丸とアヒルちゃんの会話の中で、イソツネ山と聞いて「ハセツネ」と間違えた(連想した)という話になった。もちろん後者は「長谷川恒男」を縮めた言葉なので関連は無いが、もしかするとイソツネ山の名前の由来も人の名前だったか?と思わせた。イソツネ山は、宮内敏雄著『奥多摩』(1944年発行)でもカタカナで記載されているので、語源を想像させてはくれない。小生の場合「イソ」と聞くと、つい化合物異性体の接頭辞(iso-)を連想させる。
スタートは梅久保BS。ここからそのイソツネ山までは、地図から想像できる通りの激登り。途中にある大きな岩にワイヤーロープが掛けられているのは、何かの拍子で下にある青梅街道や梅久保集落めがけて落ちないようにしているのだろう。余りにも勾配がきついせいか、アキレス腱よりも前脛骨筋やヒラメ筋が痛い。イソツネ山そのものは眺めは利かず、味も素っ気もない山頂だったが、満足。程良い達成感を味わう。その先の沖ノ指山も、奥多摩らしからぬ実にひっそりとした山頂だった。
本日の最高点、六ッ石山山頂には珍しく誰もおらず、立派なモノリス状の山頂標識が寂しそうだった。あとは下り。一気に水根まで下ったが、水根BS14時5分発のバスには間に合わなかったので、小河内ダムまで足を延ばした。こんな季節(もう紅葉はほぼ終わり)だが、ダムの周辺には意外に多くの観光客が来ていた(山から下りてきた者はかなりマイノリティ)。奥多摩湖BSにリュックサックを置いた後、1年ぶり(前回は小河内山の帰りに寄った)に「水と緑のふれあい館」へ入る。ここにも多くの客が来ていた。
2階にあるパノラマレストラン「かたくりの花」は、それなりにテーブルが間引かれていたが、それでも半分ぐらいが埋まっている状態。周りを見てもビールを呑んでいる輩はいないが、汗をかいたままの小生は遠慮なくグビッとやった。

01 梅久保BSで降りたのは当然、我々だけ。
03 ちょっとビビる岩稜。
05 日向に出ると暖かい。
09 がんがん高度を稼ぐ。
12 で、ジャケットを脱ぐ。
15 小河内ダム。
16 ヒラメ筋がヒーヒーいっている。
21 イソツネ山に到着。
22 マスク姉妹。
23 向こうに見える山は本仁田山か。
26 けもの道のような踏み跡。
29 日差しはあるが、風は冷たい。
30 御前山が見えてきた。
33 アップはやめてね。
35 2回目の休憩。
38 ゆるゆると登る。
40 反射板があった。
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43 防火帯は急こう配なのよね~。
45 光る奥多摩湖。
47 棒ノ木尾山を通過。
48 あの辺りが六ツ石山。
50 六ツ石山に到着。
51 モノリスと共に。
59 ここから水根に向かって下る。
60 産土神社。
61 水根の集落に下りた。
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カミさんが越谷へ出かける用事があると云うので、それに合わせて夕刻、南越谷(新越谷)駅前で待ち合わせ。20年ぐらい前には割と頻繁に南越谷へ来ることがあったが、その頃に入った店は今はもうすっかり無くなってしまっている。
この界隈で一杯やるのはほぼ2年ぶり。前回のその時は(越谷のご当地グルメとして売っている)鴨鍋が目当てだったので、今回もそんなつもりで行ってみた。もちろん、ウィズコロナ時代になってからは初めて。どうなっているのか確かめるつもりもあった。
南越谷で居酒屋となると駅の北側が多い感じで、だいたいいつもそちらに向かう。ところが前回入った「いちまる」がある一角に行ってみると、閉まっている店が多い。コロナのせいかと思ったが、今日は祝日(勤労感謝の日)の月曜日だと気付いた。しまったそのせいか。
「いちまる」だけでなく「末広」も閉まっていた。その並びの「こがね」は開いていたが、若者グループがもう盛り上がっている状態で、この時代はとても入り難い。通りの反対側にある洋風居酒屋「ZIP」もコロナ休業なのか閉まっている。「南越酒場」は明るくて何人か客が入っている状況。でもカミさんの琴線には触れなかったようでここはスルー。さらに隣にあったのが「なつどまり」という昭和な居酒屋。ここに入ることにした。
入ると、先客が我々よりもだいぶ年配のお一人だけ。ご常連のようである。店は女将さん一人でやっている。メニューを眺めると、田舎町のスナックか小料理屋にありそうな感じの料理が並んでいる。厚揚げの煮しめとか、きぬかつぎ、湯豆腐を頼んでみた。どれもおふくろの味。
このような一品は、今どきの居酒屋で見ることはすっかり無くなった。これらを肴に一杯呑めるようになったのは、我々もそれなりに馬齢を重ねたということだ。我々の後からは、やはりご年配の独り客がやってきた。こちらのご常連らしく、女将さんに酒を勧めていた。これも昭和な眺めだ。

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「やまなみ温泉」でさっぱりした後、丁度いいタイミングにあった路線バスで藤野駅まで移動する。考えてみれば、ここからバスに乗るのは記憶に無いくらい久しぶりだ(バスの本数はそれなりにあるのに、何故かタクシーに乗ることが多い)。「やまなみ温泉入口BS」は「やまなみ温泉」から徒歩2分、エントランスからは見えないので、うっかりしていると乗り損なう(女子連が危うかった)。
今回の道志の山を巡る1泊山行は、戻ってきたところが藤野駅。我々にとって、ここが道志山塊のゲートウェイ。そしてここへ戻ってきたら、打ち上げに入るのはやはり「風里」。つい2か月前にも来たばかりだが、藤野だったらここしか知らないので、これは必然な成り行き。数えてみると、ここに来るのはかれこれ6回目。初めて入ったのは5年前だから、なんだだかんだ年に1回は来ている勘定。でも今日が初めての人もいる。今日はいつもの座敷ではなく、テーブル席にしてもらった。
テーブル席がある部屋は、鰻の寝床のように長い店の一番奥。この部屋に入るのは初めて。中がどうなっているのかは知らなかったが、思ったよりはちょっと狭いか。それでもウィズコロナ時代になってからは、テーブル数を減らしたと思われる。入口のカウンター席や座敷には何人か先客がいたものの、テーブル席部屋には他に客はおらず、我々だけの貸切となった。
とりあえず生ビールで乾杯したら、皆思い思いに料理を注文すると結局定番ばかりになってしまうので、あえて食べたことが無い料理を重点的に選ぶようにしてみた。それでも手造りビッグハンバーグ(1,000円)や豆腐のメンタイ焼き(600円)、焼き餃子(380円)はどうしても食べてみたくなるのか、やっぱり頼んだ。これら定番料理は他に無い味なので、なかなかスルーできないのだ。
吞んで喰って締めて17,780円。これでも7人で割ったら安いが、実は我々には地域利用クーポン券10,000円分がある。ということで、一人あたま1,100円で大変満足させていただいた。なんだか(我々を除く)納税者全てに対して申し訳ない。

163 今日の打ち上げはここ。
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164 生ビールで祝杯。
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165 地域共通クーポン10,000円を引けば一人1,110円!
166 懐にも優しい山行でした。
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道志の山旅2日目は、竹之本集落から朝日山に登ったあと、反転して主尾根を東進し、厳道峠まで辿ることにした(山行記録はこちら)。朝から良い天気で冷え込んだので、冬の到来を感じる寒さ。ダウンジャケットを着たまま歩き始める。しかし山道に入ればすぐに急登、喩え植林で日差しが遮られても忽ち汗が出て来る。素早くダウンジャケットから薄手のナイロンパーカーにチェンジ。
昨日に続いて朝日山山頂に着いたら、今日初めて単独行ハイカーに出会う。道志川を隔てた大室山にはもうちょっと人も多いだろうが、何れにしてもこの界隈は、東丹沢の大山とか塔ノ岳と較べれば圧倒的に登山者が少ない。
ウバガ岩の上からは、手前の菜畑山、その先の今倉山の上に富士が望め、良いアングルだ。しかし富士の周り懸かった雲はなかなか取れない、少し待ってみたが諦めて先へ進む。眼下の道志川沿いの山襞に、斜光が当たってきれいだ。大栗集落へ下る径を分けると個人的に未知の領域になる。
地図で見る通り大したズッキンバッコンでは無いが、地味に細かい上り下りが続くのでそれなりに時間はかかる。景色は基本的に変わらないし、しかも単調。而して段々飽きて来る。途中、尾根を半分だけ穿った、造り掛けの林道があって、気を紛らわしてくれる。
鳥井立は凡そ2年ぶり(その時の山行記録はこちら)。その先の、池ノ上へ折れるところに道標があり、改めて見ても激下りで、まともな径ではない。それから先を直進すれば厳道峠まで一気に下る。峠は舗装道が横断しているが、何故かゲートが閉まっていて、道志側へは下れないようになっている。
予約したタクシーがタイミング良く現れ、やまなみ温泉へ向かう。こちらは、調べてみればもう4年ぶり。やはり朝日山の帰りに寄ったのだった。

095 今朝はちょっと冷える。
098 ここから山道。
099 植林帯のジグザグ登り。
104 日溜まりで小休止。8時47分
109 この辺りが一番急。
112 2度目の休憩。9時50分
114 間もなく秋山峠。
116 朝日山(赤鞍ヶ岳)に到着。
120 次のピークは赤鞍ヶ岳(ワラビタタキ)。
129 さっきまでいた朝日山(赤鞍ヶ岳)も良く見える。
132 道志は全て山の中である。
133 短い笹の原。
138 ようやく標高が1,100m台になってきた。
140 それほどルンルン気分ではない。
141 日が差せば眠気を催す。
151 鉄塔が見えてきた。
154 ここにも味な標識。
157 2年前はここから池ノ上へ向かった。
160 ここも見晴らしが良い。
161 ようやく厳道峠に到着。
162 富士のやまなみ温泉で温まった。
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道志は今も昔も、やって来るには東は津久井湖近くの三ヶ木、西は山中湖の平野が主たる玄関口。都留や藤野から通じる道もあるが何方もワインディングロードなので、通行量は大分少ない。従って道志村のキャンプ場へやって来る大抵の観光客は、三ヶ木か平野の何方かからやって来る。
我々山ヤは、どちらでも無いアプローチの仕方が可能なので、今回は上野原から無生野までバスに乗り、サンショ平、朝日山を越えて道志村に入ることにしたが、それだけだと物足りないので菜畑山まで足を延ばした。その途中にある本坂峠は、かつて道志口峠と呼ばれていたように、ここを越えると朝日曽雌の集落、その先は大旅川、朝日川、桂川沿いに甲州街道の大月へ抜けられるので、いにしえの交易ルートだった筈で、そんな峠を訪ねられたのは良かった。道志側は踏み跡があったが、朝日曽雌側は良く分からなかった。
道志で泊まったのは「北の勢堂」という、ちょっと変わった名前の民宿。母屋と離れに分かれていて、築百年以上経っている離れはかなり広いが、今日は我々だけの貸切だという。部屋数は5つぐらいあり、そのうちの一つに囲炉裏が切ってある。そこが夕食部屋だった。
「道志の湯」から戻ってみると、囲炉裏には炭火が入り、串に刺さった岩魚が並んでいた。本日のメインディッシュは猪鍋。青菜はクレソンだった。道志川に自生しているのだろう(調べると道志村が全国一の出荷量らしい!)。他にも鹿刺しやいくつかの小鉢もあって豪勢な夕食だった。酒は竹筒で御燗。囲炉裏を囲んだ夕食は、それだけでもひと味違う。くまちゃんのオーレン小屋番体験談に花が咲いた。
朝は結構冷えた。こまめなWoodyさんが、囲炉裏の灰に埋めておいた種火を起こしてくれる。囲炉裏の周りに昨日の夕食後の食器がそのままなのは、その晩に片づけることはしない(客に食事を急がせない)という宿のポリシー。朝食の時間も客の要望次第だという。実に顧客目線なもてなしだ。朝食は囲炉裏部屋ではなく、ストーブがガンガン焚かれた別室だった。
ふと、部屋からガラス引き戸越しに外を眺めようとすると、冷たい風を感じる。よく見れば、柱が歪んでいるのか、引き戸の建て付けが悪いのか分からないが、下がピシッと閉まっているのに、上は数センチの隙間。なるほどこれじゃあ、朝は冷える筈だと、Woodyさんと二人で吃驚した。

075 民宿・北の勢堂に到着。16時12分
076 今日の別館は我々の貸切。
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077 玄関の奥は朝食の間。
078 男子組の寝室。
079 囲炉裏の間は夕食処。
082 囲炉裏に炭が入って岩魚が焼かれていた。
083 青竹徳利もやってきた。
084 囲炉裏があればみんな集まる。
085 猪鍋はクレソン入り。
086 道志産の鹿刺し。
087 夕食には野菜が豊富。
088 猪肉も道志産。
089 燗酒をいただく。
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090 オーレン小屋談義。
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091 【第2日目】朝食。
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092 古民家宿を堪能した。

Wikipediaによれば、「道志山塊」とは相模川の支流、桂川と、同じく支流の道志川に挟まれた地域の山、と定義されている(この出典は何だろうか)。概ね同意するが、それだと石老山や高柄山、倉岳山なども入ってしまう。これらを「道志山塊」に入れるのはやや抵抗があり、「中央線沿線の山」とするか、または「桂川右岸の山」とするのが座りが良い気がする。
従って、個人的に「道志山塊」は上記の定義にある桂川の代わりに、相模川支流秋山川の右岸及び桂川支流大旅川の左岸、かつ厳道峠より西側、とするのがベターな感じだ(ちょっとややこしいけど)。そうすると阿夫利山は「中央線沿線の山」、秋山二十六夜山は「道志山塊」に入ることになる。この辺りが賛否が分かれるところかも知れない。
そんな「道志山塊」は、概ね主だった山は既に登頂済みだけれど、縦走したことはあまり無い。特に、菜畑山と朝日山の間、赤鞍ヶ岳(別名:ワラビタタキ)と厳道峠の間は未踏破領域だったのでこの際、道志村に1泊してまとめてトレースしてみようと思い立った。やはり季節的には秋から冬にかけてがよろしかろうと、温めていたプランを今回、実行することにした(山行記録はこちら)。
宿は、20年ぐらい前に泊まったことがある「道志温泉日野出屋 」に、と思っていたが、このコロナ禍のせいか残念ながら休業中。代わりに選んだのが「北の勢堂」という民宿だった。無生野から朝日山へ上がり、菜畑山まで縦走した後、道志道に出たところで宿の車でピックアップしてもらう。
そのまま宿の風呂に入るのかと思ったら、「道志の湯」に連れていきますよ、とのこと。村民割引クーポン券(200円引き)を貰っていくことになった。湯上りビールを呑む時間が遅くなったのが、ちょっとだけ悔しかった。

001 【第1日目】無生野の先のバス停留所から出発。9時27分

003 傾斜は徐々に強くなる。

005 北尾根を登るのでなかなか日が当たらない。

007 手彫りの標識。

008 パソコンによる標識。

013 飛龍山も見えてきた。

015 大菩薩連嶺の右奥には奥秩父の破風山か。

021 サンショ平に到着。11時22分。

024 鞍部から東京の高層ビル群が見えた。

026 これから標高差200m強の登り。

030 渋い山頂標識。

031 日溜まりのひと時。

037 また下り。

041 岩戸ノ峰に到着。

044 下り切ったところが道志口峠。13時27分

046 上がったところがブドウ岩ノ頭。

051 まだ下る。

052 ここが最低鞍部。

055 立木の手掛かりが有難い。

056 踏みしめる落葉の音。

059 ようやく傾斜が緩んだ。

060 菜畑山に到着。

061 目の前には加入道山と大室山。

065 この時間の富士山はシルエット。

066 暫し憩う。

068 初めは真っ直ぐ下り・・・

072 重力に逆らわずに下るだけ。

074 夕日と富士とススキ。

080 風呂は「道志の湯」。村民価格500円で入浴。

081 「道志の湯」で漸くビールにありつく。

何を思ったのか急にカミさんが大相撲を見ようと云うので、午後休暇を取って行くことにした。11月場所は本来は九州場所だが、このウィズコロナ時代なので国技館開催。実は国技館なんて入るのも初めてだ。両国駅で降りたのは午後3時。駅を出ると直ぐに幟と太鼓櫓が目に入り、気分が盛り上がる。
入口でチケットの確認と検温、手のアルコール消毒。升席は疎らで埋まっているのは3割ぐらいだろうか。1階の土産物売り場をちょっとぶらぶらし、せっかくなので手拭いを買ってみた。椅子席の我々は2階へ。椅子席の客は更に少なくてせいぜい2割(席の販売自体も1つ置きになっている)。今場所の興行は5,000人が上限とのことだったが、これではとてもそんなに入っていないだろう。
席での飲食は禁止されているし、声援も禁止なので実に静か。聞こえてくるのは力士の息遣いと、立ち合い時に頭がぶつかる鈍くてエグい音と、勝敗が決まった直後の拍手ぐらい。取り組みが淡々と進む感じである。そのせいか気になるのは、取組よりも土俵の周りで裁付袴姿で働く人々だ。
彼らはいわゆる「呼出」と称される職員。これまでにも、次に対戦する力士の名前を「呼び上げ」したり、拍子木を打ち鳴らしたり、土俵を箒で掃いたりするのはテレビ観戦でも目にしたが、生観戦しているとそれ以外にも様々な仕事をしていると判る。それがまた一切言葉を交わさずに、全てタイムリーでかつ無駄がなく、淀みがない。特に各力士の付き人との、座布団と濡れタオルの受け渡しのタイミングが何度見ても見事で、ホトホト感心した。取組自体は、2横綱2大関が休場だったので、いまいち盛り上がらず。
両国で相撲観戦の後は「ちゃんこ鍋」と相場が決まっているかも知れないが、我々は「ももんじや」に入ってみた。1718年創業という超老舗の、山くじら(ぼたん肉)のすき焼きを出す店。建物はそんなに古くは無い。店の外に、猪のはく製がぶら下がっているのは余計な感じ(店内に置く場所が無くなったせいか)。客間は細かく襖で仕切られているので良く判らないが、半分以上は埋まっているようだった。
鍋に、猪すね肉の煮込みや鹿ロースト、猪チャーシュー、シャーベットが付いて6,000円(税別)のコース。肉は全く臭みは無く、柔らか。割下の出汁加減、塩加減も申し分ない。最後はうどんで締めた。我々2人には丁度いい量だったが、育ち盛り、働き盛りには追加が必要かも知れない。

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「奥京」を出ると外はとっぷりと日が暮れていたが、店の中も暗めだったので驚かない。タイミング良く発車する18時6分発の高尾行各駅停車に乗る。この電車は小淵沢始発だったが、ガラガラ状態。酒が入ると勢いが付いて、甲府からだったら「あずさ」に乗りたくもなるものの、次はまだ30分以上先だし、高尾でちょっと引っ掛かってみたい気持ちもあったので各駅停車で帰ることにした。
子供の頃から、JR高尾駅に特急が停まればそれなりに需要はあるだろうと思ってきたが、いまだに実現していない。高尾駅に停めると、京王線に乗客を持って行かれる恐れがあるとJRは思っているのかも知れないが、少なくともそれは顧客目線ではないし、高尾駅に停まるのであれば特急に乗ろうか、と思う客だっている筈。多様な乗客のニーズに応えるには、例えば「かいじ」ぐらいは停めても良いのではなかろうか。小生は武蔵野線利用族なので関係ないけど(西国分寺駅には100年経っても停車しないだろうな)。
それにしても毎度思うけれど、ロングシートの列車で帰るのは、平日、ひと仕事終えて家に帰るのとあまり変わりがないので、オフ感が全く無くて詰まらない。それに加え、この高尾行は甲斐大和駅で7分、四方津駅で8分も停車する。四方津駅の停車は「あずさ50号」に抜かれるのだから致し方無いとして、甲斐大和駅では単に停車しているだけ。砂を噛むような7分間。ダイヤの組み方に問題があるとしか思えない。
高尾駅に19時44分到着。京王線組3人と別れてから、南口に出て、つい先週入ったばっかりの「たまの里」へ転がり込む。今日もやっぱり客は疎ら。やはり奥のテーブル席へ案内される。やはりもうビールではなく、日本酒。またも緑川・純米(780円税込、以下同様)をいただく。いつもながらこの酒、全体のバランスが良いと思う。茄子揚げ浸し(480円)とイカゲソ揚げ(450円)をつまみながら、ちびちびやって今回の山行を締め括った。

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「つつじヶ崎温泉」で汗を流し身体はサッパリできたものの、ここでは喉の渇きが癒せない(≒風呂上がりの一杯が呑めない)と判ったところで、ともかくも何処へ駈け込もうか、と暫し思い悩む。時間は午後3時半過ぎ。メンバーは6人。ランチでもディナーでも無い土曜日の昼下がりに、一杯やれる店を探すのに毎度思い悩んでいるのは小生だけではないと思うものの、世の中にそれに適う店のなんと少ないことか。
甲府で数少ない選択肢のうち、北口の「きり」という蕎麦屋はたしか中休みが無かった筈だが、検索するといつの間にか休むようになっていた。残りの選択肢は、ほうとう屋の「小作」ぐらい思い付かず。ほうとうはちょっと重いかと、ネット検索をしていると見つかったのは「葡萄屋」という南口にある洋食屋と、「オープンカフェ まるごとやまなし館」。何方もヨコメシ系、今日はそんな雰囲気じゃないかな。
中休みがある店でも、このご時世だとやっている可能性もあるかも知れないと、モノは試しで駅前にある蕎麦屋の「奥京」へ電話を入れてみれば、OKですと。店のホームページでは通しで営業しているようだが、食べログの記載と違うし(午後3時から5時まで休み)、もしかすると電話をすれば時間外でも入れてくれるのか、それとも電話を受けた人の勇み足なのかも知れないが、兎に角、入れると判ればタクシーでまっしぐら。
入ってみると、照明控えめな店内。外との明暗差が激しいので目が眩んで良く見えないが、落ち着いた雰囲気。それにしても、なかなか店に通されない。奥で何やらモメている感じ(やっぱり店側で行き違いがあった?)。でも我々としては、来てしまったらこちらのもの、まさか今から追い出されることは無いだろう、お手並み拝見と余裕で待つ。
やがて通されたのは、10人ぐらいは座れそうな、掘り炬燵形式の長テーブル席がある部屋。ちゃんとアクリル板の仕切りも設置されている。当然ながら他に客はいないので、ゆったり気分でビールを呑ませてもらった。蕎麦屋にしてはかなりつまみも豊富(甲府の蕎麦屋の定番「鳥もつ煮」もいただいた)なので、色々頼んで味わせてもらい満足した。(中休み無しが間違いでなければ)是非また来たい。

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すっかり涼しくなってきたので、久しぶりに甲府の北にある低山、奥秩父の前衛とも云える山塊(そもそも甲斐の国なのに"秩父の奥"という呼び方には昔から違和感があった)に足を踏み込んでみることにした(と云っても計画したのは残暑厳しき頃)。帯那山そのものは1時間程で登れてしまうので面白味は少ないが、そこから塔岩川左岸尾根(仮称)を辿り阿梨山を通って甲府市街地まで延々と下ってみた。無風快晴で絶好の行楽日和だった(山行記録はこちら)。
帯那山山頂から南に富士山、北に金峰山が望め、眺めは申し分ない。ここはサクラの名所になっていたと思ったが、今はすっかり立木が無くなり切株だけが残っている。下り始めると、一部林道を辿る部分からは東に大菩薩連嶺、西に甲斐駒ヶ岳を始めとする南アルプス連峰が望めるが、尾根を辿るようになると暫くはほぼ、眺望が利かない。
阿梨山(手前に吽梨山、中之岳があって、合わせて阿吽三山というらしい)を過ぎて、支尾根に入ると突然眺めが良い露岩帯に出る。富士山から南アルプスがぐるりと見渡せ、眼下には千代田湖も視認できる。まさしく白砂青松なこの場所には、国土地理院の地図を見る限り地名が付いていないようだ。
この界隈には、他にも風化した花崗岩が露出しているところ(例えば昇仙峡の羅漢寺山など)が点在しているので、わざわざこの場所を目指してくる輩もいないのだろう。その分、小さな天上の楽園を独り占めできる。
あとは下帯那町、上帯那町に点在する集落を横切り、金子(きんす)峠から甲府盆地めがけて下る。ちょっとだけ武田神社に寄り道し、丁度見頃の紅葉を愛でる。
ここまで結構歩いたが、風呂は更にもうちょっと歩いた「つつじヶ崎温泉」に浸かることにした。かなり質素な日帰り温泉のような銭湯。やはりここも天然温泉。でも宴会場があったりするので、やや風変わりな経営スタイルである。
さっぱりした後に「露天風呂あったでしょ?」となおちゃんに云われ、男湯には無かったと答えたが、念のためもう一度脱衣所まで戻ってみると、果たして脱衣所から風呂場へ通じる扉の右脇にもう一つ扉があって、そこが露天風呂だった。脱衣所から二手に分けられているスタイルも珍しい。
それにしても、ここは(宴会場では呑めるのに)休憩スペースではビールを呑めないので(これも新型コロナのせい?)、みんなが揃うまで水も飲まず悶々としながら待った。

01 帯那山登山口までタクシー乗車。

02 標識は必要最低限。

04 今日はいい天気。

05 登りは緩やか。

07 帯那山に到着。

08 奥秩父連峰が目の前。

09 金峰山クローズアップ。

10 富士山はひときわ高い。

16 見越山を通過。

17 白峰三山と左奥に塩見岳。

26 見上げれば良い感じの色。

30 吽梨山だった。マジか。

32 阿吽三山とは知らなかった。

36 古い標識。

40 木漏れ日が気持ちいい。

42 英語名の山があるとは思わなかった。

44 もう急な下りは無い。

45 ここにも英語山名。

46 ずんずん下る。

47 ちょっと岩々してきた。

55 自然が作り出した庭園。

60 と思ってもまた足を止める。

61 不思議な場所だ。

62 こうなるまでどれだけの年月が経ったのか。

67 もうすぐ甲府盆地。

69 躑躅ヶ崎の紅葉その1。

71 躑躅ヶ崎の紅葉その3。

カミさんが上野公園の入場予約券を手に入れたから一緒に行かないか、というので付き合うことになった。もちろん、カミさんの狙いはパンダのシャンシャンである(2020年12月31日までに中国に返還することになっていたが、その後、返還期限が2021年5月31日まで延期され、更に2021年末延期されるらしい)。
動物園の正門へ行くと、結構な行列が出来ている。15分単位で予約時間が分けられているのだから、並ぶ必要が無いかと思っていたのに皆、ちゃんと並んでいる。しかも随分長い。とても一番後ろに並ぶ気も起らないので、列が動き出してから後ろに付く。恐らく、この行列のほぼ全てがパンダ目当てだろう。皆さん、一刻も早くパンダを見たいらしい。
ウィズコロナ時代で予約制になっても、パンダ(特にシャンシャン)舎に集まる人の数はビフォーコロナとちっとも変っていないようだ。シャンシャンがいるパンダ舎には2つの列が出来ている。一つ目は正門を潜ったそのままの列で、もう一つは2回目も見たい人の列。前者は立ち止まってはいけないルールになっていて、後者はその制約が無い。当然ながら、後者は超長い列になっている。
偶々かも知れないというか、往々にしてあることだが、1回目の時はシャンシャンは木の上で器用に寝ていてピクリともしない。2回目の列は、そのまま並ぶ気も起らない程長いので、リーリーとシンシンがいる、西園に新たに出来たパンダ舎に行ってみる。同じように考える人が結構いるので、シンシンにも人が群がっていた(リーリーは昼寝中だった)。西園を出てから正門に戻る途中、パンダ舎を横目に見たが、2回目の行列は益々長くなっているようで、またにしようと門を出る。
ちょっと遅くなった昼食を喰いに池之端へ行く。入った店は、眞巴石(しんばせい)という中国火鍋料理の店。60席もある大きな店だが、先客も後からやって来た客も無く、我々二人だけの完全貸切状態。中国系店員3人が暇そうにしてた。具材を適当に注文したら物凄い量。でも薬膳と四川の2種類のスープのせいか、意外にペロリと全部食べられた。すっかり温まった。

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