1日目の夜から参加したこのちゃんが、まだ手首の骨折から完全に癒えていないにも拘らず、山のいで立ちで現れたので、折角だからと2日目はひとひねりして(っていうか普通の山道だとリスク有り過ぎるので)、足元確かな道乍ら非日常的なアプト道(遊歩道)を、「めがね橋」まで散策してみることにした。ちなみにアプト道は、国土地理院地形図には「めがね橋」以外にそれらしきものは見当たらない。そもそも、長野新幹線開業まで使われていた横川・軽井沢間の信越本線も、現在の地形図上は完全に抹消されている。
宿を出る際、我らが女子軍団が宿のご主人に、昨日のすき焼きで喰った白滝と下仁田ねぎはいったい何処から仕入れたのか、出来れば買って帰りたいと詰め寄った(否、強請った)ので、早速ひと肌脱いでくれたご主人が馴染みの八百屋に無理を云って、まだ午前8時前なのに店を開けて貰うことになり願ったり叶ったり。早速、皆が嬉々として白滝と下仁田ねぎに群がったのは云うまでもない。それにしても下仁田ねぎがひと把(十二、三本)で500円は安過ぎないか(家の近所のスーパーでは、1本300円は下らないはずだ)。
上信電鉄で高崎まで一旦戻り、今はほぼ盲腸になり果てた信越本線(の切れ端のような路線)に乗り換え、終点の横川駅で下車。「めがね橋」までは緩やかな登りで、途中にいくつかのトンネルを潜るものの、ごく普通の観光客でも歩行に問題は無い道程である。
行き着いた「めがね橋」は高さ31m、レンガ造りの立派なアーチ橋。文明開化の香りがぷんぷんする。新緑か紅葉の頃だったらさぞや見映え良かったことだろう。明治浪漫に触れた後は、旧宿場町の坂本宿を抜けてまた横川駅まで戻った。電車の時間を確認すれば、ちょっと間があるので何処かで時間調整したい。
都合よく在るのは「おぎのや」。釜飯で超有名なこの店は、ここ駅前店が本家本元。弁当屋だけど、店内でもちゃんと釜飯を喰うことが出来る。我々は喉が渇いただけなので、ビールを所望。店内に居る客で、釜飯を喰わないのは明らかに我々だけだ。
個人的に、昔から駅弁は寿司に限ると認識していた小生としては、釜飯弁当を喰った記憶はあまり無い。それでも、食べた後の素焼きの釜を、家でどう処分すべきか考えたことがあったような気がする。誰でも一度は考えることだろうと思う。

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