宮城に来たもう一つの目的は、カミさんがJR仙石線の陸前小野駅に行きたかったと云うこと。全く知らなかったことだが、そこの応急仮設住宅の一角に、「おのくん」という名前の手造り人形による復興支援プロジェクトがあった。「おのくん」の里親を募る(「おのくん」を1体1,000円で買って貰う)ことがその狙い。通販だと半年待ちなどという状態らしいが、直接販売を優先しているとのことで、今回やってきた次第。「おのくん」は、靴下を活用した人形らしい。
仙石線は、松島海岸駅から先が被災していて、現状、陸前小野駅へ行くには代行バスかタクシーとなる。丁度、バスが出た後だったので、タクシーで移動。道中、運転手からは、津波がやってきたときにはこの辺りがどれほど悲惨な状況だったのか、生々しい解説があった。日頃の防災計画、対策がなっちゃなかった、と吐き捨てるように云う。でも今日見る穏やかな風景からは、なかなか結びつかない部分もある。松島の中心街あたりは、海側に多くの小島があったおかげで「奇跡的」に津波の被災を免れたとのことだが、実際の土産物屋の入口には、ここまで波が来た、と人の背丈ほどの位置に記しが付いていた。
陸前小野駅の西側に、10数棟の応急仮設住宅があり、その集会所的な建物が「おのくん」の工房兼販売所だった。中に入ると、4~5人ほどのおかあさん達が人形作りに精を出していた。首尾よく2体の「おのくん」の里親となった。建物の中には様々な写真が飾ってあるが、ちゃっかりしっかり安倍首相も「おのくん」と一緒に写真に収まっている。ボルシア・ドルトムントの香川の写真もある。
代行バスに乗って松島海岸駅まで戻る。途中、津波で壊滅した野蒜駅が、線路を敷き直し、山側に新たに出来上がっているのを眺める。高校時代、野蒜駅にほど近いユースホステルに泊まったことがあったが、そのユースホステルも震災で廃業したようだ。30数年前に見た景色も、4年前の景色も、現在の風景からは全く想像が付かない。
松島海岸駅に戻ったあと、どこか喫茶店でも入ろうとふらふら街中を歩いたが、どこもかしこも、牡蠣の香りをぷんぷんさせた食堂ばかりで、入る気が起きない。やがて、福浦島へ渡る橋の袂までやってきた。この橋を渡るには通行料として200円必要だが、袂にある施設で券を買うようになっている。その料金所兼軽食店が「カフェ・ベイランド」。ビールも置いてあるので(←ここ重要)入った。天気も良くないので福浦島へ渡るつもりはない。良く見たら、ここのメニューにも牡蠣の殻焼きがあった。この時期、松島で牡蠣から逃れるすべは無いようだ。
南側にあたる海側は全面ガラス窓で、松島湾が良く見える。店の造りは至ってシンプルだが、ウリはやっぱりこの景色。窓際のカウンター席に座って、何も考えず、島々が浮かぶ松島湾をぼーっと眺めるのは悪くない。凡そ4年前、ここに津波がやってきたなんてことは、この景色からは想像がつかない。

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